最近は元当事者としての意見を求められる事も多く、昨日は色んな立場の方々が、依存症とそれによる犯罪を犯した人のサポートをしている勉強会の様な所に参加しました。

一生懸命に世の中を変えて行こうと、頑張って活動されている方々の多い事への驚きと、でもやっぱり権力のある場所には相変わらずあっち側とこっち側という、そもそもの偏見がある事を痛感した会でした。

久しぶりの投稿ですが。

 

クレプトマニアだとか薬物中毒だとか、私を含めて犯罪に結びつく依存症を患う患者は意外と多く、このブログを始めたのもそんなこんなに悩む人、周囲の人の理解につながるといい、と思い始めたけれど、最近自分の中に変化があって。

 

私が回復したのは、というか盗むことをやめたのは、専門医との出会いやそこでのプログラムを受けることで変化があったからどということも自覚しているし、それまで「犯罪だとわかっていてやめられない、反省心もわかない最低人間」が「病気」という単語によって必要以上に自分を責めなくなったのは、回復への一歩だったとも思う。

 

ただ最近、いろんなところで話をしたり、真っ只中の人の話を聞いたり、客観的に見れるようになって思うのは、「病気」に甘んじていたら回復はしないということ。脳のプログラミングミス、ではあってもそこを変えていこうとしなければ、これは犯罪なんだから、こんなことはやめなければ、と葛藤しなければ、泥棒なんてやめられない、っていうこと。

 

「私クレプトマニアなんです、やめられないんです」と言って防犯ブザー分解道具を持参して日々何万もの窃盗をする人が「病気だから」と無罪放免されては被害者はたまらない。

金額の問題ではにけれど、それを言うなら世の中の窃盗犯は、特に貧困で生をつなぐために仕方なくおにぎり一個盗んだおばあちゃんのような人以外は、みんなクレプトマニアってことになる。

 

患わない人には理解し難い部分だけれど、この頃は司法でも少しづつ耳を傾けてもらえるようになってきているようだけど、それでも、大手を振ってする「盗み」は逆にこの病気の理解を混乱させる。

中にはもちろん、「今日1日は盗まない」を日々積み重ね頑張っている人もいる。失敗してまた盗んでもまたがんばってる人もいいる。やめられないけどやめなきゃ、と困っている人も。

 

いろんな段階はあるにしても、私自身が「クレプトマニア」の線引きに疑問を感じる今日この頃。

そしてその医療に携わる専門家に、どうか真剣に患者の治療に取り組んでほしい、と切に願うばかり、ビジネスとしての対価ばかりでなく。

 

 

というわけで、このブログのプロローグで書いてきたものを、婦人公論のノンフィクション部門に投稿し掲載されたわけだけど、ある程度の編集はあるとは知っていたものの、最終校正もなく、来週店頭に並びます、と送られてきた見本誌を読んで唖然。

 

私は犯罪を犯したけれど、そこには依存症との長年の葛藤があり、しかし社会で自分のした事は「病気」では済まない、だから服役までしたという事、世間でよく言う、意志が弱いとか、反省が足りないとか、そういう類の事ではなく、専門家の介入なしでは回復は厳しい病気だという事を、同じように依存症、窃盗癖で苦しむ人や、周りの人に伝えたかったのだが、上がってきたノンフィクションストーリーは、犯罪者が海外逃亡した挙句に捕まり、結局は服役しました。って事しかみえてこない、私には残念なストーリーとなってしまった。

 

文字数が多すぎたからとか、読者にネガティブなイメージを与えないように、との配慮の結果、と編集者は言っていたが、原文を知っている人たちに読ませると、印象は私と同じで、普通の人がしない特異な経験を綴ってるだけだね、という感想。

 

まあ日本の保守的な雑誌なんてそんなもの、と出てしまったものは諦めるけど、私が書きたかった事はあんなことじゃない、とせめて自分のブログで呟きたい、と久しぶりの投稿。

 

もし、あの婦人公論を読んだ人がいたら、ちょっと長いけれど、このブログのプロローグのページを読んでほしい。

 

窃盗癖も薬中も、犯罪であり、病気でもあり、その両方からメスを入れていかないと、回復の道になかなかたどり着けない厄介なものだという事を、一人でも多くの人に理解してほしい、と願う今日この頃。

麻布のさいとうクリニックの診察は、予約制になっている。来た順に何番目かが告げられ、順番が来ると放送で呼ばれる。特にDr斎藤の診察は、患者の多さと、診察の長さで、通常の病院の「予約」を想像していたら暴動が起きるくらい待たされる。

昨日私は2週間に一度の診察で、朝6時前に起き、子供達の晩御飯の支度を済ませ、8時前の満員電車に飛び乗り、クリニックの受付を出来たのは9時過ぎ。「斎藤の診察8番です」とにこやかに告げられ、隣に親しい仲間がいたものだから「嘘でしょ?みんなどれだけ早いの?8番だって、完全に午後だよ」と言うと、受付の女性が申し訳なさそうに「そうですねぇ、でも運が良ければ..... 」と、好き勝手な発言をする私をなだめてくれた。

デイナイトケアなので、朝から晩まで様々なプログラムがあり、診察の待ち時間はそのプログラムを受けていればいいのだが、受けたいプログラムがない人などは、それぞれ自由な時間を使っている。

最近の私は、めったに会えない仲間とひたすら話して時間を過ごすことが多くなり、昨日もあっという間にお昼になった。
全く読めないDr斎藤の診察時間を配慮してか、現在何番目が診察中か、一目でわかる番号札が受付カウンターに置かれ、Dr.斎藤の患者はひたすらそれを確認する。1番が2時間ぐらいそのままだったりすることも珍しくなく、長く通うベテランの患者は、「今日は初診が入ってるみたいだから」と動じない。
私もこの「待ち」にはずいぶん慣れ、余程後に用事がない限り時間を気にすることはないのだが、昨日はその後に用事のある日だった。

クリニックで用意された何種類もおかずが入ったありがたいお弁当を頂き、近所に散歩に行ってみて、受付カウンターの番号札を見ると、やっと7番になっていた。次か、とほっとしていると名前が呼ばれる。
うすむらさきの重いカルテのファイルを受付で受けとると、隣のDr.斎藤の診察室のあるビルへ向かう。オートロックのドアを開けてもらい、エレベーターを降り、201のドアを開けるとやっとたどり着いた感に満喫する。

Dr.斎藤は話が面白いので、つい彼の話に引き込まれ、話したかった事を話せないまま「じゃあね」と分厚いカルテを突き返されることが多々ある私は、今日はこれとこれは絶対話さなければ、とシュミレーションしながら最後の重いドアを開けた。

大きな机の向こうに、スマホをいじるDr.斎藤が座っている。私を救い、ここまで導いてくれた主治医に対し失礼な言い方だが、彼のその風貌はなんとも愛おしく、かわいらしい初老の紳士で、その姿を見ると、朝から何時間も待たされた事さえも有意義だったのか、と思うほど癒さる。

忙しそうに常に何かに視線を向けているDr.斎藤だが、部屋に入ると、必ず私の目をしっかり見て「どうですか?」と尋ねる。
そして私があれこれ話し出すのだが、昨日は少し様子が違った。彼の方が話し出した。
「あなたのブログを読んでここに来た人がいるよ」予想もしていなかった出来事にしばらく何も言えなかった。
ブログを始めたのは、私と同じように悩む人達の小さな救いになれたらいい、と。私のめちゃくちゃな人生を見て、まだ私の方がまし、とパワーになればいいと、そんな思いがあったから。

このブログを読んで実際一人の人がDr斎藤に繋がったと言う事実は、とても大きな事で、それは私にとっても大きなエネルギーとなった。
「一人救われましたね」という私の言葉はほとんどスルーし、刑務所行かないで逃亡でいいんですね!って話でね、と、いつものネタに喜ぶDr.斎藤の笑顔を見て、今日も麻布の長い一日が終わってしまうのだった。

長かった摂食障害もピークだったニューヨーク生活で出会った一冊の本 Toxic mother 、日本でもその後翻訳され「毒になる母親」と言う邦題で話題を呼んだらしい。

その本を読んだ当時、私は只々、目からウロコだった。子煩悩で、まるで子供のために生きているかの様だった母、まさにその自分の母も、この中に登場する"毒になる母親"だと、どうやらこの本は言っている。まさか、という気持ちと、あまりにも当てはまる、摂食障害になった自分の生き辛さの根源。あー、そうだったのか、と正直、当時は母を恨んだこともあった。

あれから十数年、回復の道を進みながら、転んだり、つまずいたり、全てを失った時も、クリニックの仲間の話、ママ友の話、常に「母親と子供」を注意深く見てきた。

そしてなんとなく感じていたのは、母親なんて、みんな多かれ少なかれ毒を持っている、という事。虐待とかネグレクトとか、わかりやすい毒から、一見、薬にしか思えないような毒、毒とまでは言わないけど、毎日は取らない方がよい、と感じるものまで。
そしてその毒を受け取る側の体質、性質が生き辛さの症状を重くも、軽くもするのではないか、と。

私は自分の情の深さ、実母からのDNAも危惧して、子供を持とうと思った時から、「この子は自分の体から出てきたけれど、分身でも、自分の思い通りになるものでもない、ただのお預かり物」と紙に書き、冷蔵庫に貼り、自分に言い聞かせてきた。それでも思い通りにならないと声を荒げ、する必要のないアドバイスをする。特に長女への境界線は、日々確認しなければ行き過ぎてしまい、3人目となった次男に対しては、この子は境界線いらないでしょ、とばかりに甘やかし、母としての在り方は、母となって13年、悩まないことはない。

突き放し過ぎていないだろうか、干渉し過ぎていないだろうか、愛情は伝わっているだろうか、三人三様の性格を含め、あれこれと工夫もしてきた。

私の毒は、どの程度の毒なのだろう、それを知るにはまだ幼い我が子でもあるが、毒が回っているとしたら、時すでに遅し、であることもわかっている。

子供を傷つけてしまった多くの親も、故意にそうなったのでなく、知識のなさや、幼さで、傷付けている自覚さえなかったのではないか、と思いたい。
虐待で殺された子供はもちろん気の毒だけど、愛すべき我が子を殺めなければならなかった親も同様に気の毒で、なぜそうなったのか、その親はどう育ったのか、そんな所にフォーカスしなければ、この連鎖は止められない。
また、幼い頃から「良い会社へ入るための教育」が本当に子供達の幸せにつながるのか、自分がどんな毒を放っているのかを、母親が自らに問う事で、子供達は少し楽になるだろう、と日々起こる、子供達の事件を見ながら考える。