元夫は単純で且つ複雑な情緒を持ち合わせていました
恐らく本人も自分自身をコントロールできず、
内面ではそんな自分を恐れているように見受けられました
出会って間もない頃の彼に、
私の、「物怖じしないまっすぐな性格」を
“羨ましい”
と言われた事があります。
陰の部分を持っていないから、そんな風に楽観的に物事を捉えられるのだと
苦労せずに、それこそ努力もせずに得たいものを得てきた、自分に自信のある人だと
彼から見た“私”がそのような人だったから、
彼は私を得る事で彼のなりたい“自分”に近づこうと、本能的に感じたのだと思います。
彼から見える世界はトリックアートのように
焦点のあっていない視点から覗くと、非常にバランスを欠いたもの
だから、自分が認める自分になるために
足りないパーツを”足して”いきたかったのかも知れません。
自分に取り込めば、自分のモノになる・・・
モラハラの特徴のひとつだと言われています。
モラハラの人は自覚はないけれど、とても演技が上手です。
その振る舞いで自分の人格をそのように仕立てあげる事が出来ます。
ですが、本質の部分では・・・
結局自分のモノになっていない事を理解している為、
自分のモノにならないらならば、それは目の上の瘤。
取り除こう!と・・・取り込んだ相手を破壊していくのです。
それはまるで・・・蛇の生殺し・・・のように
今日の言の葉
“一緒にこの世には生きられない、
生かしておけないほどの深い恨みや憎しみがあること”
私には・・・どうあがいても
彼の中にある万物に対する敵対心を
理解してあげる事は出来ませんでした