330. ショパン ヴァン・ド・ヴェルドのシステム | ゆかりの心模様 

ゆかりの心模様 

日々の出来事、思ったことを
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元保育士。
4子の母、孫2人。
現在は 2人の成人息子と旦那と♀猫2匹の黒猫(レティ)白猫(ジゼル)の家族構成。

趣味
ピアノ弾き。
好きな物-
クラシック音楽、建物、神社仏閣 旅 自然 猫 



青柳先生が
安川先生の
ピアノのテクニック教本について

2日前YouTubeで語っている

私も
昭和40年代
このピアノ教本を毎日使い
ピアノ教室へ通っていた

この教本は
他の楽譜と違い大きいので
楽譜の傷みがどの楽譜より酷い

この教本
その先生に習っている間の7年間くらい
ずっと繰り返し
2周、3周と調性を変えて
さらってきなさいと
先生から言われ

あっちこっちに書き込みや
破れがあり



今では
角もなく バラバラ状態だが
なぜだか捨てられず
今は楽譜棚の端でねむっている

そんなことは
どうでもいい

ショパン ヴァンドヴェルドのシステム

子供の頃
この教本を繰り返しやっていて
曲の方も
バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン
と、いろいろな作曲家の楽譜を弾いて
ついに
ショパンへきた
その時に
このピアノのテクニックの教本の
最初に書いてある

レガート スタッカート
ショパン-ヴァンドヴェルド
のシステム

の文字に実は気がついていた
それは
ショパンは今まで習った音楽とは
ちがって
私にはとてもおしゃれに
聴こえて
憧れだったからだ

ショパンの後に憧れた
ドビュッシーもオシャレで
ピアノであって
ピアノでない感覚を
こどもながらに感じていた

お硬い音楽から
ゆったり 草むらや水辺で
自由に寛げる音楽
(もちろん、小学生の私に
くつろげる なんて文字は
当時は浮かばなかったが 
その大人の雰囲気だけは
想像していた訳で
憧れだったのだ)

しかし


ちゃーんと書いてあるのに
この教本を
ハノンと同じハ長調ではじまり
先生はひたすら
手の形は指の関節は曲げて
卵を持つように弾く
ひたすら教わった

ショパンはワルツを弾いた訳だが
ショパンであってショパンでない
なんだがいつもしっくりこない
そんな事で

私はショパンは苦手だと
ずっと思い
患って

大人になり
ひょんな巡り合わせから
ロシアピアニズム
と言う名から
ショパンを弾くにはショパンの弾き方がある
ことを知ったのは
今 通っている教室



もう
ショパンの弾き方
なんてものにも
とうに拘りは無いが

緑教本のこんなところに
秘密があるとは
当時全く気が付かない
ってか、
当時教わっていた先生でさえも
わからなかったんだと
青柳先生が言われてなるほど
と 思った

全く
なんてこった‼️です

そして、やっぱり
レガートを追求するショパンの大事な所は
何気に
軽くスルーされて
⭕️くれちゃっているけど

今から見ると

あの弾き方は
全くレガートではないし
スタッカートも全く違う

アレは一体なんだったのか?
この教本は
一体
何のためにだったのか

私の7年
いや
その後 ピアノを弾かなかった分含めてを

やり直すのに
どれだけの時間と
どれだけしんどかったか
(ちょっと大袈裟だけど
ピアノが好きな人には大問題なのよ)

緑楽譜に罪は無いが

もう60過ぎての教本は
いらない

教本よりも
頭の中の切り替え
今までのものは
一旦捨てて
新しくする

コレが1番いい
そして
1番頼りになるのは自分の耳
自分が作り上げるのだから
作曲者がどんなことを思い作ったかを
想像して自分はどう感じるか
どうなふうに弾きたいか 
どうなふうに弾けば
楽譜にある音符を表現できるか

これを追求するから
楽しいと変わった

平面の楽譜のイメージから
立体的に音を組み合わせて作っている
ことに楽しさを感じた

楽譜の上には書き表せないものが
潜んでいることを発見する
楽しさも

音楽は楽しい
音大出の大先生だから習う
って言うのは
音楽やることには
あまり関係ないと思う

自分がどんな音楽を作りたいか
それを発見する手掛かりとなる
先生を見つけて習う
これは必要

なぜなら
自分の弾いた音は
自分ではよくわからないから
自分が信頼し、尊敬する先生に
聴いてもらうことは
非常に大事

録音して聴くのもいいけど
やはり
生の音とは違う

そして
ピアノもピアノを調律する調律師
ピアノが置いてある場所も大事

楽器から教わることが多い
教本で練習していくら速弾きできても
それは曲芸にしかならない

そこにへー凄いね!
はあっても
音楽から感じる物語や風景や色や香りなんてものは
感じ取れない

そんな風に
音楽を作りたくはないな