存在の謎2

ところで、この本の方は、無事に終点に近づいた。冒険者だなんて、とてもとても、それどころか何が何だかよくわからなかった。そういう人の方がずっと多いだろう。全然かまわないじゃないか。わからないことをわかったふりするより、わからないとわかってた方が賢いんだって、もうわかってるものね。
日常の光景から宇宙の果てのことまで考えきて、さて、君は、再びこの日常、この人生を、これからどんなふうに生きてゆくだろうか。

引用:池田晶子「14歳からの哲学」


この本を14歳の時に読んでいたら、と思うことはあるが、この本を読むとき14歳の眼で読めていただろうか。

世に出て分別がついた後に読むのと、中学生だった頃に読むのとで、どう違うだろう。

中学生の頃の純真な心に問いかけられてきたら、きっとまっすぐに、こう答えられる。

わからないってわかること、ここが始まりなんですね。

わからないから考える。

考えて考えて、善いことしかしたくないって思える人生を生きてゆきたい、と。

しかし、何十年も生きてしまって、世俗の垢まみれになって、善いこととは何かを問うことも忘れてしまった。

そんな自分に、内なる14歳はまっすぐに言ってくる。

何歳になったって、いつでも今から始められるのよ。

だって、今しかないのだから。

いつだって、今があるだけなのだから、と。

~つづく~