存在の謎2

生きているということは、それ自体が謎なんだということを知って生きるのと、知らずに生きるのとでは、人の人生はまったく違ったものになるんだ。謎に気がついた君は、どうして「ある」はあるで、「ない」はないなのだろう、なんて言って、気がつかない人たちに笑われるかもしれない。そんなの当たり前じゃないかってね。でも、笑っている彼らだって、「生(ある)と死(ない)」という謎を生きて死ぬということではやっぱり同じなんだから、それなら、謎は謎だと知って、そして生きて死んだほうが、人の倍は人生トクするようなものさ。同じ生きて死ぬのでも、その味わいやら深みやらが、それはもう本当に違うんだ。だから、この本でこれまで考えてきたようなことは、君がこの謎の人生をより深く味わうための、言わば補助線のようなものと言ってもいい。
謎は、漠然と感じているだけでも十分だ。なんとなく変な感じがする、ひょっとしたらそれはそうじゃないのじゃないか、そんなふうに感じ続けているだけでも、君の人生は十分な幅とふくらみを持つだろう。でも、もしも君が、考えること、わからないとわかるからこそ考えるのだと、考える人生をあえて選ぶのなら、君は、冒険者だ。永遠の謎に挑む冒険者になるんだ。

引用:池田晶子「14歳からの哲学」


どうやら、自分は永遠の謎に挑む冒険者になってしまったようだ。

「考える人生をあえて選ぶ」というよりは、選ばずとも「考える人生」を生きるしかないような、そんな流れのなかにいる。

生きているということは、それ自体が謎なんだということ

ほんとうに、生きているということは、それ自体が謎なのですよ。

これ以上の謎はない!と常々おもいます。

世の人びとは、そんなことはあまり感じないのでしょうか。

人間とは?

生きているとは?

この世とは?

生まれて生きて死んでゆく人生とは?

あらゆることがわからずに、不思議で、答えはないけど考えてしまう。

それも、自分というものが存在しているから。

やっぱりそれって謎だし、不思議じゃないですか?

~つづく~