存在の謎1
わからないとわかるからこそ、考えるんだ。そうじゃないか。考えたってわからないと考えないのは、わかっていないということをわかっていないからでしかない。
そうじゃないか。わからないとわかっていることを考えるのだから、それは答えを求めて考えることじゃない。もしも君が、これからの人生で、本当の勉強、本当の学問をしたいと志すのなら、このことだけはわかっておくのがいい。考えるということは、答えを求めるということじゃないんだ。考えるということは、答えがないということを知って、人が問いそのものと化すということなんだ。どうしてそうなると君は思う。
謎が存在するからだ。謎が謎として存在するから、人は考える、考え続けることになるんだ。だって、謎に答えがあったら、それは謎ではないじゃないか。
なるほど、謎を考えているのだから、考えても、さっぱりわからないとはっきりわかるだけだ。だから考えたってしようがないかというと、まさかそんなことはない。謎とは、自分の人生、この生き死に、この自分に他ならないのだったね。さっぱりわからないものを生きて死ぬということが、はっきりわかっているということは、自覚すること、人生の覚悟だ。だから、とても力強く生きて死ぬことができるんだ。さあ、君はどうする。
引用:池田晶子「14歳からの哲学」
考えるということは、答えを求めるということじゃない
あ!
考えれば、答えが見つかるはず、と何となく思っていた。
答えが欲しくて考えていた、ということもある。
考えるということは、答えがないということを知って、人が問いそのものと化すということ
考えても…答えがない…
考えるということが、答えを求めてするものではなかったことを知らなかった。
考えるということは、人が問いそのものと化す…
私たちは、問いそのものの人生を生きている。
こたえなんかどこにもない人生を、それでも生きてゆくということ。
それには覚悟が必要か。
さっぱりわからないものを生きて死ぬということが、はっきりわかっているということは、自覚すること、人生の覚悟だ。だから、とても力強く生きて死ぬことができるんだ
力強く生きて死ぬということ。
覚悟がすわるということ。
なぜだかわからないけど、今ここにこうして生きているということ、これはやっぱり奇跡という他ないように思う。
~つづく~