存在の謎1

よく、うるさいお説教をくどくどされて、「もうわかったよ!」って怒るだろ。でも、それでも君はちっとも変わってない。つまり、ちっともわかってないということだ。これとまったく同じことで、本当に「わかる」という経験は、人の態度や人生の構えを、根本的に変えてしまうものなんだ。頭ではわかるけれども感じではわからない、とも、よく人は言うけれども、これもその通りで、感じでわからなければ、何をわかったことにもなってない。頭でわかるだけの知識、借り物の知識なんかに、どうして一人の人間の人生を変えてしまうだけの力があるだろう。なぜなら、「考える」とは、まさにその自分の人生、その謎を考えることに他ならないからだ。君は、自分が生きて死ぬということがどういうことなのか、さっぱりわからないということが、はっきりわかるだろうか。
引用:池田晶子「14歳からの哲学」


本当に「わかる」という経験は、人の態度や人生の構えを、根本的に変えてしまう

なかなか「本当にわかる」という経験は少ないのではないか。

わかった風なことはたくさんあっても。

特に自分自身に関することは最難関。

自分自身のことを「ほんとうにわかる」ことはできるのだろうか。

つい最近、自分の傲慢さや、あまり見たくない面を直視することになり、面喰らったが、そのことを潔く認めたら逆に楽になったのも事実だ。

それまでは、自分はいい人で、いろんなことがよくわかっている人なんだと思いたくて、本当はそうでない自分であることを知りたくなかったし、認めたくなかった自分がいたことに気づく。

自分のことが、いちばんほんとうにわからない。

自分とは何だろうか。

この問いは、いつも降りかかってくるが、それでも今日も自分というものを生きている不思議といったらありません。

自分が生きて死ぬということ、さっぱりわかりません!

~つづく~