人生の意味2
どういうわけだか、この宇宙はそういうつくりになっている。「天網恢恢疎にして漏らさず」という中国の古い言い方を、人生の標語として覚えてしまおう。天の網は広くて粗いようだけれども、悪事は必ず露見する、悪人には必ず天罰が下るという意味だ。むろん、天罰を下すのは天じゃない。自分の内なる善悪だ。自分が為した悪事の罪を、自分のために罰するんだ。因果応報、罪の罰は、必ず自分に帰ってくる。なんのためかって、自分のためだ。それより自分が悪くならないように学ぶためだ。悪を為さずに善を為し、よりよくなろうと学ぶこと、それが、存在することに意味のない人生を生きることの、本当は、意味なのかもしれない。人は、思うことで、何もかも思った通りにすることができるのだから、人生や苦しみに意味がないと思えば、人生や苦しみは意味のないものとなるし、人生や苦しみに意味はあると思えば、人生や苦しみは意味のあるものとなる。天は、この宇宙は、なんて公正にして平等なんだろう!
引用:池田晶子「14歳からの哲学」
因果応報、罪の罰は、必ず自分に帰ってくる。なんのためかって、自分のためだ。それより自分が悪くならないように学ぶためだ
自分が悪くなることを好む人はいるのだろうか。
「よい」「わるい」、という言葉がある限り、人は「よい」と「悪い」の意味を知っている。
意味がわかるということの意味、これを考えてみてください。
自分の内に、人は善悪の判断の基準をもっている。
それに照らし、自分自身の言動を自覚的に為してゆくのだ。
人生とは、一瞬一瞬選択の連続だ。
自覚的言動により生きてゆくのか、何となく生きてゆくのか、すべては自分に由る。
なんて公正にして平等なんだろう!
自分で自由に選択し、それを生きてゆくことで運命を創ってゆける。
このことが腑に落ちるかどうかで、きっと生き方も人生も変わってゆくだろう。
~つづく~