人生の意味2

昔から人間は、この非常に難しい問題に頭をひねってきた。運命か自由か、どちらと考えるかで、人生に対する心の構えは、まったく違ったものになるからだ。だいたいにおいて、運命論者はあきらめムード、自由意志派は元気なタイプが多いみたいだ。決まってるのだから仕方がないとあきらめるか、自分で決められるんだと決めてゆくかだ。でもここでのこの両派がともに疑っていない前提をも、さらに疑って考えてみよう。そもそも、運命と自由とは、互いに対立するものなのだろうか。どちらと考えるかは、それこそその人の自由、つまり好みであるならば、なぜその人は、ある一方の方を好むのか、この当たり前の不思議から考えていってみよう。

引用:池田晶子「14歳からの哲学」


運命と自由とは、互いに対立するものなのだろうか

運命か自由か、としか考えていなかったけれど、どうもそれでは考えが足りないらしい。

対立というか、反対のものというふうに思い込んでいるから、考えが発展しないのだ。

「ほんとうに、それはそうなのか」という問いをあらゆることに発動させたら、すごいことになりそうだが、何かそこに裂け目を見出だせるかもしれない。

思い込んでいる、ということ自体に気がつかないままなのだから、やっぱり「ほんとうに、それはそうなのか」という問いは、常に持ち続けてゆきたい。

なぜその人は、ある一方の方を好むのか、この当たり前の不思議

これは、ほんとうに不思議なことだ。

どうして、AではなくB が好みなのか。

理由はあるようでない。

好みがあるということ自体が不思議と言えば不思議だ。

好みとは、何なのだろうか。

~つづく~