人生の意味2
過去や未来に捉われない自由な精神であるところの君は、今や、何をしてもいい。何をすることもできる。君は、完全に自由だ。君の自由を制限するような社会も規則も、そして、「神」も、存在してはいないとしたら、さあ、君は、何をする?
今本当にしたいこと、野球をするでも絵を描くでも、あるいは誰かと恋をするでもいい、あるいは何をしたいことがないのなら、何もしたくないことがしたいことだ。君は、自分がしたいことを何でもすることができるのだけれども、さて、「なぜ」君はそれをしたいと感じるのだろう。完全に自由で、何をしてもいいはずなのに、「なぜ」、よりによってそれを、無限の可能性のうちのたったひとつのそのことを、君はしたいことだと感じるのだろう。君は、自分の自由でそれを選んだと思っているけれども、ひょっとしたら、それを選ぶことは、君が選ぶ前から決められていたのじゃないだろうか。それは運命として決められていたのじゃないだろうか。だとしたら、「自由」なんてことも本当は存在しなくて、人間の人生は、すべてあらかじめ決められている運命なのじゃないだろうか。
引用:池田晶子「14歳からの哲学」
う~ん…
自分で決めたと思ってることも、決める前から決められていたのだろうか?
予め決められていることには逆らえないのだろうか。
自分の自由で決めていると思っていることでも、ほんとうは予め決められているのだろうか?
運命は決められてると仮定して、でもなおその中でも、それをどう捉えるかということの自由は残されているような気がする。
運命だと決まっているなら、それならそれで気が楽になるような心持ちにもなったりする。
どう考えたってわかりっこないことだけれども、この問いは、どう展開されてゆくのだろうか。
~つづく~