人生の意味1
この不思議の感覚、奇跡だという感情は、おそらく、敬虔な信仰をもつ人が神様に捧げる祈りに似ている。自分を超えた存在や力に、自分の心において出会うんだ。人は、驚きと同時に、深い畏れを知る。そして、この苦しみは神から与えられたものだと、ごく自然に思えるようになるのだろう。このような信仰こそ美しいものだ。それは、考える精神が、考えに考えた果てに至り着く感覚と同じものだ。
引用:池田晶子「14歳からの哲学」
池田さんの信仰の告白を聞いたような気がする。
自分を超えた存在や力に、自分の心において出会う
この実感を持てたとき、人は深い畏れに包まれるはずだ。
自分を超えた存在や力を疑うことはできない。
大いなるものへの畏れ、畏敬の念。
自分が生きているのではない。
生かされている存在である私たち、という視座。
敬虔な信仰をもつ人が神に捧げる祈りというのが、精神が考えに考えた果てに至った感覚とが似ているのではないかというのは、頷ける。
自分を超えた存在というのが、そこにはあらわれてくるのだと思う。
~つづく~