人生の意味1
人は、物質宇宙、星々が永遠に生成消滅を繰り返しているということに、意味や理由があるとはほとんど思わない。でも、それなら、地球という惑星になぜか存在し、生まれたり死んだりを繰り返している人間の人生にも、意味や目的はないはずではないだろうか。宇宙が、ただそのようにあるように、人生も、ただそのようにあるだけではないだろうか。人生には意味も理由もなく、ただそのようにあるだけであっては、なぜ困るのだろうか。
生きる苦しみや死ぬ怖れに出合って、人はそのことの意味や理由を求める。そうしなければ、その苦しみを納得できないと思うからだ。でも、いいかい、納得できないということなら、宇宙が存在する、なぜ存在するのかわからない宇宙がなぜか存在するというこのこと以上に、納得できないことなんかあるだろうか。宇宙が存在するということは、神が創ったのではない宇宙が、しかし存在しているというこのことは、とんでもないこと、ものすごいこと、まったく理解も納得もできないことではないだろうか、これは、奇跡なんだ。存在するということは、存在が存在するということは、これ自体が驚くべき奇跡なんだ。存在するということには意味も理由もない、だからこそ、それは奇跡なんだ。
引用:池田晶子「14歳からの哲学」
人生には意味も理由もなく、ただそのようにあるだけであっては、なぜ困るのだろうか。
意味や理由を求めてしまうのが人間という存在なのかも。
確かに、自分が存在しているから、いろんな苦しみを味わうわけだから、苦しみの意味を求めるならば、なぜ自分が存在するのかを考える方が先?のように思う。
自分が存在していないなら、そんな苦しみなんかに出会うはずがなかったのだから。
そういう意味では、すべてが奇跡だ!
存在するということには意味も理由もない、だからこそ、それは奇跡なんだ。
ほんとうに、そうですね。
意味も理由もなく存在しているなんて、そんなことあるのだろうか!
あるんだ、まさにここに私やあなたが存在する。
存在するだけで奇跡なんだ!
自分の存在そのものが、そもそも奇跡だったことに改めて気づく。
~つづく~