人生の意味1

現代は宗教の力が衰えて、神の存在を素朴に信じられなくなっている時代だから、神のない人生の意味や理由を求めて、人々は悩んでいる。でも、ここで、さらに前提を疑って考えてみよう。そもそも、なぜ人は、人生に意味や理由を求めるのだろうか。意味や理由を求めて悩むのは、何か意味や理由があるはずだと思っているからに他ならないね。でも、なぜそう思っているのだろう。そう思っていること自体が、ひょっとしたら、間違った思い込みなのではないだろうか。
神がこの宇宙を創ったのではないとするなら、それはいったいどういうことなのだろう。現代科学は、ビッグバンによってこの物質宇宙は始まったと説明している。どのようにしてビッグバンが起こったのかは、難解な計算によって説明することはできるんだ。でも、なぜビッグバンはそのようにして起こったのか、起こる理由があったのかを理解することは、科学にはできない。けれども、ビッグバンを起こした神のようなものが存在するのでもないとしたなら、いったいなぜ宇宙は存在しているのだろう。宇宙が存在していることに、意味や理由を与える神のようなものが存在しないとしたら、宇宙が存在していることに、どうして意味や理由が存在するはずがあるだろう。

引用:池田晶子「14歳からの哲学」


意味や理由を求めて悩むのは、何か意味や理由があるはずだと思っているからに他ならないね

トコトン前提を疑ってみる。

人生に意味や理由なんてなくたって、生きてゆけるはずだ。

なのに、意味や理由を求めて悩むとしたら、何だか骨折り損のくたびれもうけかもしれない。

ないものをあると思い込んでるなんて、ちょっと可笑しいもの。

なぜかわからないけれど、今こうしてここに在ること、在らしめられたこと、そのことの意味を問うても問わなくても、生きている限り生きてゆくのだから、それはそれでいいではないか。

開き直るとということとも違って、ただそうなのだから、それでよいではないか、という心の構えを持ってみてはどうだろう。

~つづく~