人生の意味1

この真実に気がつけば、多くの人たちがそれを時間だと思っている「時間」というもののあり方が、まったく違ったものになることもわかるはずだ。死はないのだから、生の時間は、終点としての死へ向かって前方へ直線的に流れるものではなくなるんだ。でも、世の人は、時間は前へ流れるものだという間違った思い込みで生きている。それで、いろいろ予定したり計画したりして、忙しいとか時間がないとか文句言ってるわけだけど、それはすべて自分でそう思っている思い込みにすぎない。時間というものは、本来、流れるものではないんだ。過去から未来へ流れるものではなくて、ただ「今」があるだけなんだ。だって、過去を嘆いたり未来を憂えたりしているのは、今の自分以外の何ものでもないじゃないか。
「今」があるだけ、「今」しかないのだから、今やりたいことをやろうというのは、だから、その意味では正しい。でもそれは、どうせ死んでしまうからじゃない。なるほど人は死ぬけれども、死はないのだから、嘆いたり憂えたりしないで、今やりたいことをやる、やることができるんだ。これは素晴らしいことじゃないだろうか。生きることが空しいというのは、間違った前提から出てくる、間違った考え方なんだ。

引用:池田晶子「14歳からの哲学」


最大の疑問の一つである「時間」という概念。

死がある、としているから「時間」が流れるというふうに思い込んでしまうのか。

時計の針が動いているから、時間は経過してゆくものだと思っている。

朝から昼、夜へと移ろいゆくことも時間の経過だと思っている。

時計がなかったとき、人は時間というものを意識したのか?

ただ、その時その時、瞬間瞬間があるだけではなかったのか?

時間とは、もともとなかったものなのか?

私たちが生み出してしまったものなのか?

どこまでも疑問は続く。

人は死ぬけれども、死はないのだから

このことが、ほんとうに附に落ちたなら、まるで人生観、世界観が変わってしまうのではないだろうか。

いずれ死んでしまうのだから生きてるうちに、やりたいことをやろう、と人は思う。

どうやら、嘆いたり憂えたりする、というのはお門違いのことのようだ。

生きることが空しいというのは、間違った前提

生きることは空しくなんかないだ、ととても心強く思う。

~つづく~