宗教

この意味での「神」は、民族や宗教によって違わないし、信じる信じないとも関係がない。なぜならそれは、自分や宇宙が「存在する」ということそのものだからだ。「存在する」ということは、信じることではなくて、認めることだ。それを事実として認めることだ。「ある」ということは「ある」ということであって、「ない」ということではないということを認めない人がいるだろうか。
当たり前すぎて難しいかな。なぞなぞみたいだろ。そりゃそうさ、だって、それこそが究極の謎だからだ。「ある」ということの驚くべき不思議、神様だって、「ある」限りは、なぜ自分があるのかはわからない。「ある」ということに答えはないんだ。どうしてそうなのだろう?これって、とてつもなく可笑しいことだと思わないか。


引用:池田晶子「14歳からの哲学」


自分や宇宙、森羅万象が存在しているのはなぜなのか。

この「なぜ」、この謎の答えに当たるものこそを神の名で呼ぶならば、この神は、万人にとって同じものだし、信じる、信じないとも関係ないことになる。

「ある」ということの驚くべき不思議

そう、「ある」ことからすべて始まっている。

「ある」ということに答えはないんだ。

「ある」ことから始まっているのに、
なぜあるのかわからない。

それならば、認めるしかない。

だって「ある」んだから。

世のいちばんの不思議は、この「ある」ということだろう。

「ある」ことから全てが始まっていて、それがなぜ「ある」のかわからないなんて、いったい、どうなっているでしょう。

~つづく~