自由
あらゆる思い込みから自分を解放した精神とは、捉われのない精神だ。自由とは、精神に捉われがないということだ。死の怖れにも捉われず、いかなる価値観にも捉われず、捉われないということにも捉われない。何でもいい、何をしてもいい、何がどうであってもいいと知っている、これは絶対的な自由の境地だ。これは本当にものすごい自由なんだよ。たとえば、想像してみるといい。死ぬという思い込みから解放された精神が、永遠に存在する宇宙として自分のことを考え続けているといった光景だ。とんでもない自由だとは思わないか。こんな自由は、やっぱり怖ろしくてたまらないから、多くの人は、勝手知ったる日常の不自由に戻ってゆくのだろう。
引用:池田晶子「14歳からの哲学」
人間は、何かしらに捉われている。
全く捉われがない境地なんてなかなか想像できない。
逆に、そんな状況が訪れたら、恐ろしくなってこれまで通りでいいや、となりそうだ。
勝手知ったる日常の不自由に戻ってゆくのだろう
とは、名言!まさに!
ほとんどの人が、なんだかんだ不満を持ちつつも、勝手知ったる日常の不自由の方が居心地がよいということだ。
何をしても何でもいい自由なんて、どうしてよいのか全くわからず右往左往するだけで、かえって落ち着かないというところだろう。
何か、こんなふうに考えてみると、人間て面白い存在だ。
自分が思い込んでる人生を思い込んだ通り生きてやがて死んでゆく。
思い込みを打ち砕いた絶対的な自由の境地を味わってみるのも一興ではないか。
~つづく~