自由
日本は自由主義社会だ。封建制社会や社会主義社会のような、国家や制度に個人が縛られる社会ではなくて、個人が自由に行動できる社会だ。君はこのことを素晴らしいことだと思うだろうか。
なるほど、国家や制度に縛られずに、自分がしたいことをできるということは素晴らしいことだ。でも、「自由」ということは、「自分がしたいことをする」ということでいいのだろうか。自分がしたいことをするのが「自由」ということなら、なぜ泥棒の自由、殺人の自由、売春の自由というのはなくて、逆にそれは法律によって禁止される行為になっているのだろう。自由に制限があるのなら、それはちっとも自由じゃない。自由ということは、本当はどういうことなのだろう。「規則」の章で、人間には悪いことをする自由もあると言ったけれども、悪いことをする自由は本当に自由なのかどうか、もう一度考えてみよう。
引用:池田晶子「14歳からの哲学」
自由に制限があるのなら、それはちっとも自由じゃない
自由とは、誰にも何からも制限されないで、したいことをできるということだと何となく思っている。
人のしたいことのなかには、殺人や泥棒などもある。
人のしたいことすべてが自由ならば、殺人でも泥棒でもしていいのだろうか。
禁止される行為があるということは、どうやら、したいことすべてをしたいからということでするのは、よくないことのようだ。
悪いことをする自由は本当に自由なのかどうか
悪いことをする自由というのはあるのか?ということだろうか。
悪いことをするのは、それを悪いことだと知らないからなのだから、悪いことを悪いことだと知らないということが自由なのだろうか、ということだろうか。
自由って、外側から与えられるものではない、ということは何となくわかる。
~つづく~