善悪2
人を殺すのが悪いことなのかどうかという、最初の問いに戻って考えよう。
人を殺すというのは、ひとつの具体的な事柄なのだから、それが絶対に悪いことなのかどうかを言うことはできない。でも、戦争の時には人を殺すことを躊躇しないけれども、平和の時には、それが最も悪いことだと人は感じる。法律がいけないとしなくても、人はそれをそう感じるのはなぜだろう。
原則を思い出そう。人は自分にとってよいと思われることをして、悪いと思われることはしないのだったね。すると、もしここで、「死ぬ」ということがよいこと、自分にとってよいことだと思われるのなら、人は、他人を死に至らしめる、つまり「殺す」よりも先に、自分が死んでいるはずじゃないだろうか。でも、殺す人は自分は死なずに生きているのだから、殺す人も、人にとっては生きているのがよいことで、死ぬのは悪いことだと、やはり知っているのじゃないだろうか。そして、自分と他人は深いところで分けられない、自分とはすべての他人なのだから、他人を殺すというのは、じつは、自分を殺すということなのかもしれない。それが自分にとって悪いことだとどこかで知っているから、人は、他人を殺すのを悪いことだと感じるのかもしれない。考えられるところまで、考えてみてごらん。これは本当に深くて底が知れない問いだから。
引用:池田晶子「14歳からの哲学」
他人を殺すというのは、じつは、自分を殺すということなのかもしれない
こう言われると、そんな気がするし、実際そうなのではないか、という気がしてくる。
自分と他人という問題も関係してくる。
それが自分にとって悪いことだとどこかで知っているから
そう、悪いと知っていることをすることは本来、人はできないのではないか。
具体的な事柄のあれこれ、そのことが自分にとってどういうことなのか。
人を殺すでも、泥棒をするでも、それが自分にとってどういうことなのか。
自分にとってよいことなのか、悪いことなのか。
そのときの自分の状況で、それがよいことになったり悪いことになったりするのか。
飢え死にしそうなとき、つい泥棒をしてしまう。
相手を殺さなければ自分が殺されるから人を殺してしまう。
それらはよいことなのか、悪いことなのか。
具体的な事柄をよい悪いで言うことはできないのだった。
よいは絶対によいで、悪いは絶対に悪いなのだった。
自分にとってよいと思われること、悪いと思われること。
どうしてそれを自分はよいと思い、悪いと思うのか。
ほんとうに底知れね深い問いである。
~つづく~