善悪2

でも、君はこれからの人、新しい時代の人なのだから、きっとわかるはずだ。自分の外側にある道徳や法律がよいとし、また悪いとすることが、よいことや悪いことなのでは決してない。よいと悪いとを判断する基準は、自分の内にしかない。だからと言って、それは、人によって違う相対的なものでは決してない。なぜなら、「よい」という言葉があり、「悪い」という言葉がある、そして、それらの意味をすべての人が知っているということは、絶対的なことだからだ。
わかりました、善悪は自分で判断すればいいんですね、で、実際にはどうすればいいんですかって、君は聞きたいだろ。それが、ダメなんだ。自分で判断する以外に善悪なんかないんだから、そんなこと他人に聞いてちゃダメなんだ。他人にこうするべし、こうするべからずなんて言われることは一切無視して、君がよいと判断したことを為し、悪いと判断したことを為さないだけだ。君はそれができるんだ。なぜなら、「よい」と「悪い」という絶対的な価値の言葉を、君は、自分の内に、確実に所有しているからだ。だから、それぞれの人によって全部が違う相対的な状況において、絶対的な善悪を実現してゆくことができるんだ。

引用:池田晶子「14歳からの哲学」


「よい」と「悪い」という絶対的な価値の言葉を、君は、自分の内に、確実に所有している

判断する基準は、自分の内にしかない

やはり、そうなんだ。

にもかかわらず、外の基準に従うようになってはいないだろうか。

自分自身で考える。

考えることを怠ってはいないだろうか。

怠るのでなく、放棄すらしていないだろうか。

それは法律や規則でそうなってるからよいことなんだと深く思い込んでいないだろうか。

考える精神はどこへいってしまったのだろうか。

現代は、考える精神を取り戻す時代となってゆくのではないか。

氾濫する言葉のなかで、言葉の価値、言葉の意味を再認識してゆくのが大事なのではないだろうか。

~つづく~