善悪1

ところで、ここで注意すべきなのは、「自分がよければそれでいい」というこの言い方だ。これまでも、たびたび言及してきたけれども、人が好んで使うこの言い方は、よく考えるとすごくおかしなものなんだ。復習をかねて、ここでしっかりと考えおこう。
人が何かをするということは、必ず、自分にとってよいと思われることをするもので、悪いと思われることをするはずはない。殺人や売春をする人だって、そうすることが自分にとってよいと思われるからするのであって、悪いと思っていたらするはずがない。ところが、この時、その人にはそれがよいと思われることなのであって、それが本当によいことなのかどうかをその人は知らない。その時の衝動や欲望に従って行為しているだけで、考える精神によって判断されたことではないからだ。だから、その人はよいと思っているのだけれど、本当はそれはすごく悪いことかもしれないわけだ。だとしたら、悪いことをすることが、どうして自分によいことであるはずがあるだろう。
つまり、その人は、悪いことを悪いことだと知らないということだ。悪いことは、自分にとって悪いことだと知らないからこそ、悪いことをするわけだ。それを食べれば病気になることを知っていて、わざわざ食べる人はいないように、自分に悪いと知っているなら、わざわざする人はいないはずだ。だから、悪いことをする人は、それは本当は悪いことだと知らずに、よいことだと間違えて悪いことをしているということなんだ。

引用:池田晶子「14歳からの哲学」


悪いことをする人は、それは本当は悪いことだと知らずに、よいことだと間違えて悪いことをしている

もし、そうならまだ救いはある気がするのだが、本当は悪いことだと知っていながら悪いことしている人だっているはずだ。

その場合、どうしたものだろう。

悪いと知っていながらも悪いことをしてしまうには、いろんな理由や事情があるだろう。

しかし、悪いと知っているのだから、いつしか苦しむのではないだろうか。

いや、悪いと知っていながら悪いことをしてしまうのだから、苦しむことなんてないのだろうか。

自分と向き合うということをしないから、悪いと知っていながら悪いことをしてしまうのかもしれない。

悪いことを悪いことだと知らずに悪いことをしてしまう…

自分のしようとしていることが悪いことなのかどうなのか考えるということをしなければ、悪いことをよいことだと間違えて悪いとことをしてしまうことになる。

何気なくしてきているよいことだと思っていることのなかに、もしかしたらほんとうは悪いことがあるかもしれない。

よいとか悪いとか、自分自身の内にある基準を持っていると思うが、その判断は間違ってはいないのだろうか。

~つづく~