善悪1

命は大事なもの、かけがえのないものだからというのなら、人を殺すのはいけなくて、牛を殺すのはなぜいけなくないのだろうか。命はかけがえがないというなら、牛の命だってかけがえがない。なのに、なぜ牛はよくて、人はよくないのだろう。人を殺してはいけないというのは、人間が自分の都合でそう思っているだけではないだろうか。
あれこれ考えると、人を殺してはいけないという絶対的な理由なんか、どうも見つからないみたいだ。みんながそう言ってるから、なんとなくそんな気がするから、ということにどうもなってしまいそうだ。だとすると、自分が人を殺すのもかまわないし、自分が人に殺されるのも、まあしようがない、そういうことになるのだろうか。

引用:池田晶子「14歳からの哲学」


もう、ほんとうにわからなくなる。

人を殺すことを考えてきたが、動物を殺して人はそれを食べてきているのではないか。

人を殺すのはいけなくて、動物を殺すのはいけなくないのか。

こたえに窮してしまうのが現状だ。

人を殺してはいけないというのは、人間が自分の都合でそう思っているだけで


うーん、どうやらそうらしい。


人を殺してはいけないという絶対的な理由なんか、どうも見つからない

私はここで言いたい。

私は理由なんかなくても、人を殺したくないのだ!

殺すことに限らず、日常のあれこれしていることに、絶対的理由なんてあるだろうか。

もちろん、ある場合もあるが、深く考えずとも、それをするのが自分にとってよいから、していることがほとんどではないだろうか。

それがほんとうに自分にとってよいかどうかわかっているかどうかは別として。

~つづく~