歴史と人類

自分と他人はうんと深いところでつながっていると言ったね。そして、自分とは、世界に他ならないとも。まったく関係のない他人同士が、自分勝手に動き回ることで、世界に時代が現われるのはそのためだ。これは気がつくと、ものすごく面白い眺めだよ。すべての他人が自分なんだ。原始人も科学者もテロリストも、同じ精神としての自分なんだ。歴史とは精神の歴史だ。人が自分を精神であると、はっきりと自覚するとき、そこには「内」も「外」もない壮大な眺めが開けることになるんだ。

引用:池田晶子「14歳からの哲学」


自分を精神であると、はっきりと自覚するとき、そこには「内」も「外」もない壮大な眺めが開けてくる。

しかし、テロリストも同じ精神としての自分なんだとは、どうしても思えない。

いや、思いたくないというのが正直なところだ。

うんと深いところで他人と自分とはつながっている、というのは感覚としてわかるが、実際問題、あんな嫌な奴も自分なのか?とは思いたくない。

そんな思いにとらわれた時ふと思い出すのが

緒方正人さんの「チッソは私であった 水俣病の思想」という本だ。

緒方さんのその視座に衝撃を受けた。

すべての他人が自分なんだ

という域に達することができたとき、「内」も「外」もない壮大な眺めが、ほんとうに開けてくるのだろう。

~つづく~