宇宙と科学
すると、面白いことになるのに気がつかないか。全宇宙というものは、ひょっとしたら、考える精神としての自分が、そう考えることによって存在しているものではあるまいか。「自分がない」ということは考えられないのだから、考えている自分は、星も銀河も、そしてビッグバンさえ、なかった時にもあったのだと。
すると、もっと面白いことになることに気がつかないか。ビッグバンは、科学によって物質としての宇宙の始まりとされているのだから、ビッグバンの前というのは、したがって、物質ではない。でも、それは決して「無」ではない。「無」というものは絶対に「ない」ということを、今や君は知っている。ビッグバンの前にも、必ず何かが「ある」。いや、「ある」のは常に「今」なのだから、ビッグバンの「前」というのもじつは「ない」。なくてある、必ずある、それが、「ある」と考えているこの「自分」だ。この時、君は、この「自分」が何かに似ていることに気がつかないか。そう、「神」だ。
引用:池田晶子「14歳からの哲学」
このくだり、本当に狐につままれたような気がするが、順を追って考えてゆくと、ぐうの音も出なくなる。
この考え方が正しいかどうかという前に、考える道筋において、この通りであるということなのだ。
考え方を教えてくれる教科書だ。
ビッグバンの前にも、必ず何かが「ある」という考え方ができるかどうかだ。
ビッグバンの「前」というのもじつは「ない」 ?!「ある」のは常に「今」なのだから…
この一言には、グッとくる。
つまるところ、「ある」と「ない」の問題に行き着く。
そして、遂に「神」という言葉が出てきてしまった!
全宇宙というものは、ひょっとしたら、考える精神としての自分が、そう考えることによって存在しているものではあるまいか。
全くの同感!である。
最初から同感!と言えたわけではない。
この本に出会って約10年。
何度も繰り返し読み続け、今やっと、そうか!私もそう感じる!と言えるようになったのだ。
~つづく~