宇宙と科学

百億年前の星の姿を、今自分が見ているのだから、じつは、星があることより自分があることのほうが確実なのだ。百億年前のことも、今自分が見ていることによってあるのだから、本当は「今」しかないのだ。百億年前とは「今」なのだ。どんなに古い星も銀河も、それを見ていると考えている今のこの自分よりも確実なものではない。なぜなら、それらは、目の前にあった花がなくなった時、そのあったことを疑うことができるように、あることを疑うことができるものだからだ。百億年前の星は、あるのかもしれないし、ないのかもしれない。あるいは変化して別のものになっているのかもしれない。物質とは、生成消滅するものだからだ。しかし、それを見てそのように考えているこの自分だけは、やはり少しも変わっていない。

引用:池田晶子「14歳からの哲学」


本当は「今」しかないというのはわかる。

ただ、百億年前とは「今」だと言われると……

しかし、「今しかない」という時点で、あぁそうか、やっぱり百億年前も今なのかも、と思う。

物質は消滅するが、考えている自分は不滅なのだ。

いや、正確には、「考える精神」は不滅なのだ。

見えるものと見えないもの。

変わるものと変わらないもの。

百億年前と今。

時間という概念にも疑問が出てきてしまう。

ひとつひとつのことは、ほんとうは何もわかっていないのだ、という不思議な気持ちに駆られる。

わからなくても、何も困らず生きてゆける。

そのことも、考えてみれば不思議である。

~つづく~