宇宙と科学

宇宙の果ては、どうなっているのだろうか。(略)この宇宙の全体は、どうやら百五十億年前のビッグバンの大爆発によって始まったということになっている。
でも、だとすると、ビッグバンの前には何があったのだろう。どうしてもそう問いたくなるよね。うんと遠いところのことを考えるために、うんと近いところのことを考えることにしよう。
目の前に花がある。花があるのを自分は見ている。それは赤い色をしているし、手を伸ばせば触れるし、近づけば香りもする。目の前に花があること、これはまったく確実なことに思われるよね。でも、こんなふうに考えることもできる。目の前にある花は、時間がたてば、枯れて、しおれて、影も形もなくなってしまう。あったものが、なくなってしまうんだ。すると、目の前に花があったということは、どんなふうに確実だったのだろうか。そこには本当に花があったのだということを、今どうやって知ることができるだろうか。とすると逆に、いま目の前に花があるということは、本当に確実だと言えるだろうか。

引用:池田晶子「14歳からの哲学」


確かにそこに花があった。

花があったことを知っている。

確かにこの目で見ていたからだ。

しおれて枯れてなくなってしまったとしても、そこに花があったことを覚えている。

記憶のなかに残っているそのことを今、思い出している。

本当に確実だと言えるだろうか、と問われると、自信がなくなる。

しかし、花があったということは記憶のなかに保存されており、今それを取り出している、という事実があると言える。

目に見える物は、その姿形がなくなったら物として存在しなくなる。

では、目に見えないおもいや考えや感じはどうだろう。

もともとが、姿形もないこれらは、物と同列に比較できない。

物の確かさとは、思っているほど確実ではないようだ。

考えほどに、だんだんわからなくなってきた。

~つづく~