メディアと書物

そんなふうに、言葉の価値を知らずにいるから、最近は人々が本を読まない。マンガはよく読まれているようだけれども、でも、たとえば、マンガにセリフというあの言葉がなかったらと想像してごらん。君の大好きな、大事なことを学んだそのマンガでも、その大事なことは、やっぱりそのセリフという言葉によって学んだことのはずだ。マンガですらも、言葉がなければ、何を言うこともできないんだ。言葉と人間とがいかに分けられないものであるか、よくわかるだろう。
しっかり考えて、賢い人間になりたいのなら、やっぱり本を読むのがいい。むろん、どんな本でもいいというわけじゃない。本物の人が書いた本物の本だ。メディアの策略で流行になっているような本は、まず偽物だ。だまされないように、見る目を鍛えて。

引用:池田晶子「14歳からの哲学」


言葉=自分であるのだから、言葉と人間とは分けられない。

「本物の人が書いた本物の本」を見分けられるようになりたい。

大きな書店や図書館に行くと沢山の本がある。

こんなに書物があるのかと驚くが、人類が書物を著すようになってから、いったいどれくらいの数の書物があるのだろうか。

私たちはそのうちの、ほんのわすがの本を読んでいるにすぎない。

人生には限りがあるから、精神を高められるような本に出会いたい。

それには、どんな本を読んだらよいだろう。

少なくとも、今、池田さんのこの本を手にとってるということは、池田さん!見る目があるということではないですか?!

~つづく~