メディアと書物

君は、言葉なんて誰でもしゃべれるし、新聞もネットも世の中は言葉だらけだし、そんなものがどうして大事なのかと思うだろう。だからこそ、なんだ。(略)
だらしのない大人たちが自分の悪行を厚かましく言い訳しているのを聞いて、なんて美しい言葉なんだ、と思うかい?ああいう人々が下品であり厚かましくもあるのは、彼ら自身が話している言葉通りじゃないか。言葉がその人そのものじゃないか。下品で厚かましい人生を生きることが、どうして人生を大事に生きていることになるだろう。
だから言葉は大事にしなければならないんだ。語る言葉の一言一句が、君という人間の品格、君の価値なんだ。ネットでおしゃべりする時には、うんと気をつけてするがいい。くだらない言葉を書きちらすほどに、君はくだらない人間になる。君の人生は価値のないものになる。それは、せっかく持っている宝石の数々を、それと知らずにドブに流しているようなものなんだ。

引用:池田晶子「14歳からの哲学」


「語る言葉の一言一句が、君という人間の品格、君の価値」

と言われると背筋がピッと伸びざるを得ない。

言葉=自分なのだ。

語ること、書くこと、言葉を発するたびごとに自分を発信している。

言葉そのものが自分を表していることにもっと自覚的であろうと思う。

現代はSNSにより、誰でもがそれこそ気軽に何でも発信できるがゆえに、言葉を発することに慎重になってよいのかもしれない。

自分の価値をわざわざ下げるようなことを言ったり書いたりする必要がどこにあるというのだろう。

言葉を大事にすることと、自分を大事にすることは、やはり同じことだ。

~つづく~