メディアと書物
衝撃的、刺激的、つまり見たいから見ているということだね。これは、テレビがなかった時代に、人がよその火事を見に走る心理と同じ、つまり野次馬根性だ。でも、他人の不幸を刺激にするのはあまりいい趣味じゃない。その証拠に、次に始まる下品なお笑い番組なんかを見て、平気で人は笑ってるだろ。戦争からお笑いまで、全部が一律に電波で流されるから、人は、大事なことと大事でないことの区別がつかなくなっちゃうんだ。
引用:池田晶子「14歳からの哲学」
野次馬根性とは、痛いところを突かれた。
そうと明確な意識はしなくとも、野次馬根性なきにしもあらず、ではないか。
衝撃的、刺激的なことに引っ張られて、つい興味本位に見てしまうということはないだろうか。
ほんとうにテレビとは、いったい何なのだろうか。
いくつもチャンネルがあり、朝から晩まで、多数の番組、戦争からお笑いまでありとあらゆるジャンルの番組が流されている。
これはいったいどういうことなのだろうか?
ちなみに、私はテレビをほとんど見ない。
自分の見たいと思う番組を選択して見るというスタンスだ。
何となくテレビをつけて、テレビを見るということはない。
そんな時間はないからだ。
他にもっとしたいことや、やらなければならないことがあるからだ。
テレビでは、大事なこととそうでないことが混じっているということだ。
意識していないと、ついつい引っ張られて見たくない番組、自分にとって必要でない番組まで見せられていることになってしまう。
そして、そのことに気づいていないのだ。
これは、こわいことではないだろうか。
~つづく~