品格と名誉

「上品」「下品」という言い方がある。「じょうひん」「げひん」ではなくて、「じょうぼん」「げぼん」と読みます。古い言い方で、今は死語になりつつあるけれども、人間の品性、人品骨柄を言い表わすための非常に的確な表現だから、この際しっかり覚えてしまおう。(略)「じょうひんな人」と言えば、服装や態度や言葉遣いなど、見た目のそんな感じをなんとなく連想するよね。対して、「げひんな人」と言えば、服装はまだしも、その態度やものの言い方に現われているその人の人柄を指して言うと、これは誰もそのように感じるようだ。話題にする事柄や、関心の対象などが、上等でない。関心の対象が上等でないということは、その人の人柄が上等でないということに他ならないから、これは「げぼん」の意味するところとだいたい同じだ。だから、「げぼん」に対するところの「じょうぼん」というのも、決して見た目の感じのことではなくて、見えない人柄、人の内面性をこそ言う言葉なんだ。「じょうぼん」「げぼん」というのは、徹頭徹尾、人の内側、精神性こそを評価する言葉なんだ。

引用:池田晶子「14歳からの哲学」


話題にする事柄にその人の人柄が垣間見えるということはある。

何を話してもいいときに、何の話題を持ち出すか、このことに頭を痛めることがある。

その場にふさわしい話題であるかや、その場における人との関係性なども関係してくる。

相手と全く関心の対象が異なると思われるとき、何を話題にしてもあまり話が続かなく何を話していいかわからなくなることは多い。

そういう時は、無理して話すこともないのかもしれない。

だが、沈黙しているというのは、あまり良いこととは思われない感じがあり、そうかなぁと疑問に思う。

私は、いわるゆる「世間話」というものが苦手で、そんなどうでもいいことを話す気もないし、相手に話を合わせるのも面倒この上ない。

例えば職場のお昼休みの閑談。

当たり障りのない話題を選ぶのはほ、案外大変だ。

テレビもほとんど見ないし、芸能人やら世間で話題になっていることには疎いから、その手の話はちんぷんかんぷんだ。

そんなことに気を遣うなんて、真っ平ごめんで、お昼は一人で食べることが多かった。

態度やものの言い方には、ズバリその人が現れると思う。

何となく感じの悪い人と話したいとは誰もが思わないだろう。

人間の品性という言葉に背筋が伸びる。

~つづく~