仕事と生活
そんな夢みたいなことばかり言って、どうやって生きてくつもりだって、親たちは言うかもしれない。そしたら、こうやって生きてくつもりだよって、答えればいい。
そんなことでは生きてゆけないよって言われたら、何のために生きてゆくのって、問い返せばいい。お父さんは、仕事をするために生きているの、それとも生きるために仕事をしているの、どっちなのってね。
何のために生きるのか、人生の意味や目的が明確でないから、生きるために生きているということになる。「生きるために生きている」、そう自覚して、そう生きることを選んでいるなら、これは立派にひとつの人生の意味であり目的だ。原始人や冒険家が、生存すること自体に全人生を賭けるようにだ。人生の意味や目的を求めるなんてこと自体が、人生の覚悟が座ってない証拠だってわけだね。
さあ、君は、どっちの人生を選ぶだろう。食べるために生きるのか、生きるために食べるのか。いずれの人生を選ぶにせよ、それは完全に君の自由だということ、覚悟を決めなくちゃね。
引用:池田晶子「14歳からの哲学」
食べるため、それは生きたいからであるし、そのために仕事をしてお金を稼ぐのであって、「仕事をする」ために生きているわけではない。
しかし、まるで仕事のために生きているかのような過酷とも言える状況に陥ってしまうことがある。
そんな時は、何のために生きているのか問い直そう。
「生きるために生きている」というのは、素朴な人生の実状だと思う。
人生の意味や目的などというものは、後付けで、何のために生きるということもなく、生きるただ生きるために生きている、という境地を実に清々しく感じる。
人生の意味については、この本の最後の方で扱っているので、またそこでじっくり考えよう。
どんな事柄(ここでは仕事)を考えるにせよ、行き着くところは「生きていること」や「人生」というものになる。
本当に、生きることや人生って何なんだろう。
そして、生きることを考えるとき、やはり死ぬことも考えないと片手落ちということになる。
「死ぬ」ことがなければ「生きる」ということが何であるかわからない。
自分が死ぬということはないと「死」のことを考える章で考えた。
厳密に言えば「この肉体を持って生きている」ということはどういうことなんだろうか、ということだ。
この肉体を持ち、何かしら仕事をする(あるいはしない)人生とはいったい何なのだろう。
~つづく~