仕事と生活

生活することを義務として定めている法律はないのに、なぜ人は「生活しなければならない」と、それが義務か強制であるかのような言い方をするのだろう。誰がそれを強制しているというのだろう。
試しに、大人に、「なぜ生活しなければならないの」と訊いてごらん。きっと、「生きなければならないからだ」と答えるだろう。「じゃあ、なぜ生きなければならないの」と訊いてごらん。きっと、「そりゃ生きなければならないのは決まってるじゃないか」くらいしか答えられないはずだから。でも、変だね、生きることを権利と決めている法律はあるけど、生きることを義務と決めている法律はないよね。じゃあ、決まってるって、誰がそれを決めているのだろう。(略)
生きなければならないという法律はなく、誰もその人に生きることを強制してはいないのだから、生きることはあくまでもその人の自由なんだ。生きたくなければ死ぬ自由はあるんだ。なのに、死なずに現に生きているのだから、生きることを自分の自由で選んでいるのだから、その人は、本当は、「生きなければならない」ではなくて、「生きたい」と言うべきなんじゃないだろうか。

引用:池田晶子「14歳からの哲学」


もう、ほんとうに全くそうだなと思う。

生活しなければならない、とまでは言わなくても「生活があるから仕事しなくちゃね」という言い方もする。

確かに生きることは強制されてはいない。

しかし、自分で生きることを選んでいるとは、人はあまり思わない。

特に「生きたい」と思ってるわけではいが、死ぬこともできないから生きている、というのが大概のところではないだろうか。

ほんとうに生きるのが嫌になってしまえば死ぬことを選ぶのだろうから。

その勇気?があればの話だが。

生活しなければならない、生きなければならない、「ねばならない」というのは、自分がそう思ってるだけなんだ。

そう思わないことだってできるのに。

「生きたくて」生きている、そう自覚できると、何かが変わってくるような気がする。

何となく流されて日々過ごしてしまってる時こそ、「生きる」ことを選んでる実感を持ちたい。

~つづく~