友情と愛情
孤独を愛することができるということは、自分を愛することができるということなんだ。そして、自分を愛することができない人に、どうして他人を愛することができるだろう。一見それは他人を愛しているように見えても、じつは自分を愛してくれる他人を求めているだけで、その人そのものを愛しているわけでは本当はない。愛してくれるなら愛してあげるなんて計算が、愛であるわけがないとわかるね。
引用:池田晶子「14歳からの哲学」
「自分を愛してくれる他人を求めているだけで、その人そのものを愛しているわけでは本当はない」
これは、実に的を射ている!
自分自身が、かつてそのような立場にあったことも思い出す。
人を愛するには、 まず自分を愛することができていなければならないのだ。
愛は取り引きでも計算でもないのだから。
このことの自覚のある人が、いったいどれくらいいるだろう?
自分を愛することは、他人を愛することにつながっていく。
自分と他人とは、うんと深いところではつながっていると「他人とは何か」の章で考えたことを思い出そうではないか。
~つづく~
孤独を愛することができるということは、自分を愛することができるということなんだ。そして、自分を愛することができない人に、どうして他人を愛することができるだろう。一見それは他人を愛しているように見えても、じつは自分を愛してくれる他人を求めているだけで、その人そのものを愛しているわけでは本当はない。愛してくれるなら愛してあげるなんて計算が、愛であるわけがないとわかるね。
引用:池田晶子「14歳からの哲学」
「自分を愛してくれる他人を求めているだけで、その人そのものを愛しているわけでは本当はない」
これは、実に的を射ている!
自分自身が、かつてそのような立場にあったことも思い出す。
人を愛するには、 まず自分を愛することができていなければならないのだ。
愛は取り引きでも計算でもないのだから。
このことの自覚のある人が、いったいどれくらいいるだろう?
自分を愛することは、他人を愛することにつながっていく。
自分と他人とは、うんと深いところではつながっていると「他人とは何か」の章で考えたことを思い出そうではないか。
~つづく~