家族

誰が生まれるかわからなかったのに君が生まれたという、他人と他人のこの不思議な出会いの感動を忘れて、君のことを自分の子供だと思い込んでしまう。

そして、時には、自分の思うように君のことをしようとしたりして、そんなところが、この頃の君には、とてもうっとうしいんじゃないかな。他人が自分の思うようになるわけがないものね


引用:池田晶子「14歳からの哲学」


親と子どもの出会いは、他人と他人との出会い!

子どもとは他人との出会いなのに「自分の」子どもという他人とは異なる所有権をもつ存在と思ってしまうんだなぁ。

お母さんは、自分のお腹で育ち生まれてくる子どもを「自分の」というふうに感じてしまうのは、致し方ないような気がする。

親も子どもも、お互いを一人の他人として尊重できたらどんなにいいだろう!

どうしても「自分の」子ども、「自分の」親、という所有概念がついてまわる。

他人が自分の思うようにならないというのはわかっても、自分の子どもは他人ではないから自分の思うようになるはずだ、思う通りにしたいと、世の多くの親たちはどうしても思ってしまうのだろう。

「自分の」というこの所有概念、何とかならないだろうか…

この所有の概念ほど厄介なものはない。

よく子どもは天からの授かりものとか、預かりものだということをきくが、預かっているのなら、大事に育てて、ある年齢になったら、そっと手放すのが本筋なのではないだろうか。


~つづく~