こんばんは。
今日はショスタコーヴィチの
交響曲第5番の話をします。
この曲はショスタコーヴィチの作品で
一番有名です。
第4楽章の冒頭は
バラエティ番組などで
よくBGMに使われます。
ベートーヴェンの「運命」と同じ
「苦悩を通じて歓喜へ」という
テーマがはっきりしているのも
とっつきやすい一因です。
当時、理由のわからない理由で
たくさんの人々が粛清されてゆきました。
スターリンより優秀な人は
それだけの理由で大量に抹殺されました。
プラウダで批判され、
交響曲第4番を撤回した
ショスタコーヴィチは
生きていられるのが奇跡でした。
死の罠は彼の周囲のあちこちに
あったと思われます。
姉の夫は強制収容所に送られ、
姉も追放されました。
妻の母も強制収容所に送られ、
伯父は銃殺されました。
そして彼のパトロンだった
トハチェフスキー元帥は処刑されました。
ショスタコーヴィチとしては、
あえて作品で名誉を回復するのが
起死回生の一手だと
考えたようです。
彼は、交響曲第4番の直後から
第5番の作曲に取り組みます。
こうして作曲された第5番ですが、
指揮者が誰も指揮を
引き受けてくれません。
結局、第5番の初演指揮という
貧乏くじを引いたのは
ムラヴィンスキーという
無名の若い指揮者でした。
そうして1937年の
初演の日を迎えたのです。
初演の結果は大成功でした。
第3楽章で泣き出す者も、
スタンディングオベーションする者も
みな感激に包まれていました。
絶賛の嵐の中で、ショスタコーヴィチは
復権を果たしました。
まだまだ安心はできないのですが
目前の危機は回避できたようです。
初演指揮者のムラヴィンスキーも
これを機にのしあがって
ゆくことになります。
彼はショスタコーヴィチと
親密な友情を結びました。
ショスタコーヴィチは
ムラヴィンスキーが
空前の天才だったことに
いつごろ気づいたでしょうか。
それではまた。