こんにちは。


今日は交響曲第1番の話です。


ショスタコーヴィチは1906年、
帝政ロシアの
サンクト・ペテルブルクに
生まれました。


音楽学校に通って音楽の才能を
発揮していきます。


11歳のとき、ロシア革命が起こります。
二度の革命によって、ロシア帝国は滅び、

ロシアは社会主義国になりました。


ロシアはやがて名前を
ソビエト連邦と改めます。


15歳のとき、ショスタコーヴィチは
父を亡くします。
遺された家族は母、姉、妹と
女性ばかりでしたが、


ショスタコーヴィチは平等をうたう
社会主義体制のおかげで
レニングラード音楽院へ
通うことができました。

 

(サンクト・ペテルブルクは当時、

レニングラードという名前に変わっていました)

 

 


交響曲第1番は、
レニングラード音楽院の卒業作品です。
当時ショスタコーヴィチは19歳でした。


この交響曲はすぐに絶賛されます。


西側でも、ワルターなどの名指揮者が
注目して大きな話題となりました。


「現代のモーツァルト」
「ソ連が生んだ最初の天才」


などと呼ばれたそうです。


この当時のショスタコーヴィチは
まさに前途洋々たるものでした。


ソ連という国もまだ新鮮な理想を
失っていなかったようです。

 


曲を聴いてみると、早くも後年の
交響曲のエッセンスが
ところどころに見られます。


音楽が屈折しているのが
見られるのもショスタコーヴィチ
ならではです。

青春なんでしょうか。


ピアノが活躍するのが特徴で、
これほどピアノが目立つ交響曲は
後年にはないものです。

 

 


初めてショスタコーヴィチの
交響曲を聴くなら
第5番と第7番が
とっつきやすくて定番です。


第1番から聴くのはあまりお勧め
できません。
ちょっととっつきにくいです。


それでも、ショスタコーヴィチの
交響曲に慣れれば
すんなり聴けると思います。


まずは5番、7番あたりを聴いてから
1番にチャレンジしてみてください。

 

それではまた。