川崎の廃線跡 その1
久しぶりの廃線跡巡り。
出発は矢向駅。ここから多摩川までの貨物線跡を、歩きます。もとは南武鉄道の貨物ターミナル、後には多摩川の砂利運搬を担っていたようです。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/川崎河岸駅
矢向駅の川崎寄りに電留線があります。
ここ電留線から貨物線が分かれていたようです。
分かれた先は川崎市の施設が建っていますがその施設への取り付け道路が廃線跡と重なっているようです。
その取り付け道路の反対側も民家が建っていますが、線路跡に建ったようで、斜めに建っていて、境界柵は枕木のようです。
境界柵のクローズアップ。
その後も、不自然に斜めに建っている民家があり、線路跡に建っていることをうかがわせます。
その後も、不自然に斜めに建っている民家があり、線路跡に建っていることをうかがわせます。
その後は、さいわい緑道という公園として、線路跡は生まれ変わっています。
途中、川崎河岸駅があったと思われるところに、タイル絵がありました。
貨物線跡の記念碑もありました。
国道を渡ると公園の横にさらに線路の緑道は続きます。
このまま緑道が多摩川の方まで伸びてます。
しばらく行くと緑道は広く広がります。貨物ヤードの跡だったようです。
砂利取りをしていたであろう、多摩川は護岸工事されて跡かたもありませんでした。
番外編。
このまま多摩川沿いに下流へ歩くと、、
こんなものが。
ホーム跡が残っています。
実はこのホームは大師電鉄の時のものではなく、その後の京浜電鉄時代のものらしいです。
とりあえず、その1はこれまで。