外食産業もタイプ別に分けると


☆個人店

☆チェーン店

☆スペシャリスト店


なんて分け方ができます。

(その時々で様々な分け方をします)


そんな中、著名な料理人の方々が経営されている「スペシャリスト店」での

“世襲”の話をさせてください。。。


芸能界、政治家、大企業、中小企業、個人事業・・・、

特に創業者や歴史深い企業は『代替わり』を非常に気にされます。


≪2世≫なんて言葉もよくメディアで聞きますよね!?

な~んか、最近はあまりよい意味の言葉ではなくなっておりますが・・・。


外食産業でも今、“世襲”の時期が迫ってきております。

またまさに今、その問題に直面しているお店もあります。


まず皆さんが悩まれてきたのは

①自分子供を自分の店で育てるのか

②信頼のおけるお店に修行に出すか


次に

①自分が生きている間に世襲させるか

②自分の死をきっかけに世襲させるか


そもそも論で

①自分の子供に世襲させるか

②長年育ててきた子供同様の弟子に世襲させるか


私はコンサルタントとしてご助言する訳ですが、

何が正解かというものではありません。。。


その経営者(料理人)のタイプ、そのお子さんのタイプ、そしてお弟子さん達のタイプ、

などそのお店・会社ごとに全く環境、人が違います。

なので、『“世襲”はこれが正解!』というものはありません。。。



≪鉄人:陳建一さんのエピソード≫

ここで赤坂四川飯店の鉄人:陳建一さん

から聞いたエピソードが印象的でしたので書きます。


陳さんのお父様:陳建民さんは皆様もご存知かと思いますが、

“日本の中華の父”と言われたアイアンシェフ。。。


現在お馴染みの「麻婆豆腐」や「エビチリ」を始め、

お店だけでなく、NHKの料理番組などメディアを通して

中華料理を家庭に広めた方です。


建民さんは自分のお店に建一さんを入店させます。

そして修行が始まります。


私は陳さんに「じゃぁ、周りのお弟子さんよりあえて厳しくされたでしょう!?」と

お聞きしました。


陳さんは「いやいや全然!逆に一度も怒られた事もないし、一番甘かったんじゃない」

っとおっしゃったのでビックリ!!


そんな環境でも陳さんは修行を頑張ります。

でも来る日も来る日も、お父さんの味はでません。。。


お父さんの死後、30代半ばで四川飯店を世襲し、社長・総料理長となります。

また伝説の料理番組「料理の鉄人」への出演です。


皆さんご存知ですか?

「料理の鉄人」開始当時、陳さんは鉄人でありながらよく負けていました。。。



陳さんにお聞きすると、負けると悔しくて帰りに多摩川に座り込み、

川に石を投げながら悩まれたそうです。。。


そんな時、お父さん:建民さんからの生前の言葉を思い出します。


「建一、私の料理を作る必要はない。

私の料理を覚えてそれであなたの料理を作りなさい」



陳さんはそこから胸につかえた何かがとれ、「料理の鉄人」の勝ち負けでもなく、

純粋に料理に没頭できたそうです。

そして気付いたら、番組での勝率もグングン上がり、

お店のお客様からの評価も上がり、

名実共に四川飯店のオーナーシェフとして“世襲”と皆さんに認められたのです!


そんな陳さんも世襲から約15年のときを経て、

今年「現代の名工」という国からの賞を受賞されました。。。


この陳さんの世襲には、陳建民、建一さんのお人柄、親子愛など

を感じずにはいられないとともに、

「陳さんファミリーらしい世襲」

を実現された事を感じます。


誰のためにお店はやっているの?

何で私は料理をやっているの?

お父さんは異国の地日本で何を考え、何を目指したの?

などなど色々考えられたと思います。


考えても考えても出なかった結論が、

たった一言のお父さんの言葉を思い出した瞬間、

全てが納得でき、気付ける。。。

逆にこれはわが子でなければできないことからもしれません。。。


“世襲”が全て悪いわけではない。

“世襲”が全て良いわけではない。


双方にはよいところ、悪いところ、が存在する。


そこには親の「理念」「哲学」があり、

子供には子供の考えがある。

両方の共通項が見出せたとき、うまくいくのではないだろうか?



うまくまとまらずすみません。。。


おいしいおまけの話:

陳さんの料理の鉄人の裏にあった微笑ましい話


伝説の番組「料理の鉄人」出演の際、陳さんのお母様は反対されたそうです。

でも後日、陳さんは知人達からこんな話を聞きました。


「お母さんは誰かに会うといつも、

『うちの息子は鉄人の陳建一なのよ!!』

っと話をするんだよ」


陳さんは嬉しくも、恥ずかしくもあったそうです。。。

誰よりも陳建一さんのファンだったのですね!!

(一番手厳しい人でもあったようです。)