飛行服千夜一夜物語

飛行服千夜一夜物語

どんなフライトジャケットにも、袖を通した者と歩んだドラマがあるもの。
飛ばなくなったフライトジャケット達との思い出話と、そこに秘められたヒストリーを紹介します。

こんばんは。 

前回のWEPの記事をアップ後、一日あたりの閲覧数が30倍(普段は一人いるかいないか)になりました。

皆さん、WEPが好きなんですね!

わかります!!

今宵のテーマは、皆さんも私も大大大好きなフライトジャケット「A-2」!
A-2を語り尽くそうとしたら、それこそ本が何冊か作れるボリュームになってしまう!

よって、今回は私のコレクションの中から、Aero Leather Clothing Co.(以下「エアロレザー」)16160を取り上げます。


データはフライトジャケット業界の魔導書(グリモワール)こと、イーストマン著の奇書「TYPE A-2 FLIGHT JACKET IDENTIFICATION MANUAL」から参照させていただきます。↓

かなりやばい本、1000冊限定


このA-2の素晴らしいところは、なんと言っても深く美しく刻まれたシワと経年変化で味の出たラセットブラウンの革です。 

コレを見るだけで酒が飲めます。

否、コレはもう酒と同等ですね。眺めてるだけで酔えます。


革はカウハイドとされています。

意外、ホースハイドじゃないんですね。

エアロレザーのA-2は一番目の契約を除き、全てカウハイドです。

エアロのカウハイドは薄くて銀面もあまり強く無いので、擦り切れたり、ささくれ立っている個体が多いという欠点があります。

しかし何よりの美点は、エアロのカウハイドはどれも美しい経年変化が現れる事であり、特に戦前のラセットブラウンは革質においても格別であります。


私は元々は黒っぽいシールブラウンが好きだったのですが、このA-2を手に入れた以降はラセットブラウン派に転向しました。

バズのエアロっぽいラセットのA-2も買いましたよ。

そう言えば、現マッコイからは、そのものズバリ、エアロ16160のA-2が出てましたね。↓

実物をよく観察してる。かなりの力作だと思う。


さて、A-2の本領とは何か?

「A-2は台襟付がいい」だの「クラウンジッパーがいい」だの…そんなふうに考えていた時期が、私にもありました……。

「A-2とは、革の経年変化とシワをたしなむもの」だったのです。

このA-2によって、私はA-2というものに対する認識を改めるきっかけになったのでした。

(…でも黒くて硬い後期型A-2もやっぱり大好きです)


エアロレザー16160の契約日は1940年11月1日、製造数は4500着、単価は$7.26だそうです。 

ちなみにA-2のWikipediaに時期は不明ですがエアロレザーの広告があり、$9.98と書かれています。

1940年当時は1ドル=4.2円位なので、単価は官品が30.5円、民生品が41.9円になります。

昭和15年の一円の価値は、現在だと概ね1700円位なので、官品は51,820円、民生品は71,260円になります。

マッコイの製品なんかと比較すると激安に感じますが、膨大な製造数の、ただの夏季用個人装具と考えると、意外と高価な装備品という印象です。

A-2は1941年に入ると、戦争準備のため製造数は桁違いに増加しますが、本A-2の場合はまだ日本の参戦前で情勢も緊迫してない時期なので、製造数は少ないですね。


それではエアロ16160の細部を見ていきましょう。

味のあるラセットブラウンと美しいシワもご堪能ください。


・襟は初期エアロレザーの特徴である台襟付です。この後からはなくなります。

・スナップボタンはユナイテッドカーです。


・エポレットは、エアロレザー共通の特徴ですが、長細く、手のひらで握れるくらいの隙間があります。


・やぼったいポケットフラップもエアロの特徴です。フラップの左右がはみ出し気味で、内側に丸まっています。


ポケットのステッチは三角形です。



・ジャケット全体の形は「箱型」と私は形容してます。身体にフィットする形状ではありません。だが、これがいい。



・ジッパーはタロンのM41ニッケルです。(M39かも?)

・このニットはかなり焦茶色です。ブラウンの個体もあります。


とにかく柔らかい上質な革です。

新品状態でも、かなり着心地は良かったはずです。

同じカウハイドでも後期型A-2の革質とは全く違います。


この16160はエアロレザーA-2としては3回目の契約です。

1回目は1937年の10490

2回目は1939年の13911

なお、イーストマン氏は1936〜1937年頃のAero Clothing Tanning Co.製37-3061Pもエアロレザー製と解釈しています。

1936年だと創業前になってしまいますが、10490と作りがそっくりなので、確かに関連がありそうです。


エアロレザーは創業後、多種多様なフライトジャケットを大量にAAFへ納入し、瞬く間にトップメーカーに踊り出ましたが、WWⅡ終戦と同時期に、一瞬にして歴史から姿を消してしまいます。

フライトジャケット好きなら誰もが知るメーカーでありながら、どのように生まれ、何処へ消えたのか、あまり知るもののいない謎の多いメーカーなのです。


90年代頃から「アヴィレックスの前身は1937年創業のエアロレザーである。1975年にアヴィレックスへ社名を変更した」という話が、現在に至るまで事実のように語られています。

はたして本当にそうなんでしょうか?

事実ならば、1946年から1975年まで約30年間、エアロレザーは何をしていたのか?(この間のエアロレザーの製品は一切確認されていない。)

さらに、アヴィレックス社の過去の広告から現ホームページに至るまで、同社がエアロレザーについて一切言及していないのはなぜなか?(エアロレザーが前身だと言う話は、ワールドフォトプレス系の雑誌で盛んに流布されていた)


次回のブログにて、エアロレザー社の真実に迫っていこうと思います!

お楽しみに!!

(はい、そこっ! 興味無いとか言わない!)