飛行服千夜一夜物語

飛行服千夜一夜物語

どんなフライトジャケットにも、袖を通した者と歩んだドラマがあるもの。
飛ばなくなったフライトジャケット達との思い出話と、そこに秘められたヒストリーを紹介します。

 こんばんは。

 せっかくなので、前回(B-15B)の続きとして、B-15Cいっちゃいます。

 前編として、実物B-15Cを紹介します。毎度のことながら、今回も結構なボリュームです。


 B-15Bって…なんだっけ?という方はこちら↓


 あっ、その前に、B-15Bの記事に誤りを見つけたので、しれっと訂正させていただきました。

 GARDNER社製B-15Bのメインジッパー(プレンティス)は、B-15Aと同様の#5(金属部分の幅が5.5mm)だと思っていたのですが、定規で測ってみると#8 (金属部分の幅が7.5mm)を使用していることに気がつきました。ただしプレンティスのジッパーしか確認できていないため、他で使われているタロンやクラウンが#8ジッパーなのかは未確認です。機会があれば確認してみたいと思います。




 では、B-15Cの解説です。

 B-15CはB-15Bの後継として開発されたインターメディエイト・ゾーン(−10〜+10℃)用のフライトジャケットです。A-11Cトラウザーズと組み合わせて使用します。

 鮮やかなエアフォース・ブルー(紺色)を採用した、朝鮮戦争期の米空軍を代表する異色のフライトジャケットです。迷彩効果は無視! 軍服っぽくありません。


ALBERT TURNER & CO., INC. AF 30047


 製造期間は1951〜1952年度のわずか2年間のみですが、朝鮮戦争により激増した予算を背景に、それなりの数が作られたようです。消耗して滅多に見ることのなくなったL-2Aと比較すると、B-15Cはそれなりに現存しているように感じます。


 そして紛らわしいことに、B-15Cには陸軍が発注したオリーブドラブのジャケットも存在します。これについては後日紹介していきます。



【B-15Bとの違い】

 ・全体の色をエアフォースブルーに変更 

 L-2A、N-2A、N-3Aと同様、各メーカーによって色合いが微妙に異なり、また褪色の仕方も異なります。

 以前は「1947年の空軍独立に伴い、イメージカラーであるエアフォースブルーを採用した」と、まことしやかに語られてきましたが、実際、空軍独立後に採用されたのはオリーブドラブのB-15Bです。朝鮮戦争参戦に伴い予算要求が通りやすくなったので、士気高揚のためにこの色を採用したんじゃないかと思います。


・メインジッパーの位置をセンターに移動

 B-15、B-15A、B-15Bのメインジッパーは右オフセットでしたが、B-15Cになり中央に戻りました。中央にあった方が正直使いやすいです。当初想定していたようなオフセットによるメリットは、あまりなかったんでしょうね。


 ・メインジッパーを幅広の#10に変更

 B-3やB-7ですら#5ジッパーを使用していたWW2当時と比べると、かなり幅広化しました。幅が広くなると引張強度が増すようですが、摩擦も増すのでスライダーの滑りは悪くなります。特にコンマー#10の滑りは悪く、テープに負担がかかって裂ける場合があるので注意が必要です。クラウンのジッパーであれば問題ありません。


 ・オキシジェンタブの素材を革からナイロンに変更

 酸素マスクホースのコネクタで機体を傷つけないよう、クリップで固定するためのタブで、このモデルからナイロンになりました。車のシートベルトのような織模様があります。各社の特徴が現れる部分でもあります。基本的にフライトジャケットの上にライフプリザーバーを着用するので、このオキシジェンタブはほとんど使用されなかったと思います。


あえてヘルメットを着用したまま、わざとらしいポーズを取っているのは、朝鮮戦争のエースであるジェームズ・ジャバラ少佐。オキシジェンタブがライフプリザーバーに隠れて使えないので、左手で酸素マスクのコネクタを握っていることに注目。キャノピーを傷つけてしまうので、通常はヘルメット着用での乗り降りはしない。


 よく言われる「地上で目立つ」問題が顕在化したのか、1952年2月7日にはセージグリーンのB-15D仕様書が発簡、朝鮮戦争の後半には支給が開始されています。


 B-15Cの契約は、1951年度に2回、1952年度に2回の計4回です。細部を見ていきましょう。ちなみに③は私のコレクションですが、それ以外の写真はネットからの拾いものです。


【1951年度契約】

①A. PRITZKER & SONS.INC. AF33(038)18853


2回あるプリツカー社の契約のうち、滅多に見ない珍しい方のB-15C。見かけたら超ラッキー。左肩のU.S. AIR FORCEのインシグニアは付かないが、ライニングのインシグニアは何故かしっかりスタンプされている。おそらく陸空軍兼用。

写真ではわかりにくいが、プリツカーのナイロン生地は若干緑が入った独特の青で、ドカジャンっぽさを感じない。


メインジッパーはクラウンの#10。引き手にスプリングが内蔵されている。動きは大変滑らかで耐久性も高い傑作ジッパー。見た目も美しい。


シガレットポケットのジッパーはクラウンの#5。WW2時のシェブロンジッパーにも使用されていた栓抜形状の引き手が大変クラシカルでカッコいい。作動もスムーズ。


オキシジェンタブはPRITZKERで見かける厚手タイプ。よく見ると中央縦に異なる色のステッチが入っている。



②A. PRITZKER & SONS.INC. AF33(038)22518

よく見かける方のプリツカー。特に珍しくはないが、無骨なデザインでとてもカッコいい。




こちらも左肩のインシグニアは最初からプリントされていないようだが、やはりライニングにはスタンプされる。こちらも陸空軍兼用と思われる。陸軍内では抵抗があったようで、1953年2月11日をもって陸軍航空部隊におけるエアフォースブルーの装備品は、着用禁止となる。


メインジッパーは①と同じ、クラウンの#10。稀にこの丸穴引き手が用いられている場合がある。

 


このコントラクトのプリツカーでは、シガレットポケットのジッパーにコンマーが使用されるのが基本。スライダーには、ピンロック付き(上の画像)とピンロック無し(下の画像)の2種類がある。稀に①のクラウン#5が使用される場合もある。


PRITZKERのICSコードループは、アルバート・ターナー社製と比べるとだいぶ小型。ドットボタンは①もそうだが、黒化処理ではなく、紺のペイントをしたものなので、すぐ剥がれてしまう。




ナイロン製のオキシジェンタブは、①で使用される極厚生地のものに加え、柔らかいやや薄手の生地のものもある。褪色して全面的に紫色になる。



【1952年度契約】

③MIDWEST FUR & GARMENT CO., INC. 

AF33(038)29198


大変珍しいコントラクト。詳細不明。このメーカーは同じ年度にオリーブドラブのB-15Cも契約している。オリーブドラブのB-15Cは陸軍向けなので、このコントラクトからは空軍向けとなる。



④ALBERT TURNER & CO., INC. AF 30047


②のプリツカー社製と同じくらいよく見かけるB-15C。アウターシェルの色はプリツカーと比べると濃い目で艶がある。薄くなっていることが多いが、左肩には必ずUSAFのステンシルが付く。リブはアクリル製で虫喰いとは無縁。中には下の画像のように黄土色に変色しているリブもある。




メインジッパーはコンマーのハリガネ#10。1950年代を代表するジッパーであるが、クラウンと比べるとスムーズな作動とは言い難い。プルタブのステッチはティアドロップ型。



シガレットポケットのジッパーはコンマーの#5だが、引き手だけでなく、スライダーのピンロック部分にも「CONMER」の刻印がある。


オキシジェンタブは織模様が付いた薄手のもの。ジッパーギリギリに寄せて縫い付けられている。アルバート・ターナーのタブは、左端または右端だけ紫色に変色しているものが多い。原因は不明。



ICSコードループの比較。左はプリツカー、右はアルバート・ターナー。大きさがぜんぜん違う。

また、アルバート・ターナーのドットボタンは黒化処理。ペイントではない。



実物の紹介は以上です。

1950年代までは色んなメーカーがあり、それぞれ個性があって面白いですな。


前編はここまで。

後編をお楽しみに。