(旧ブログからの転記です)
最近あることから、(いつもの発作のようなものさw)
マイブームが『六十里越街道』になりました。
丁度今読んでいる清河八郎本にも少し情報があるので
昔撮った画像(結構ありました)などを使って
清河八郎の六十里越を辿ってみたいと思いました。
ルーツの場を辿る作業も兼ねるので楽しそうです。
画像探しながらなので頓挫するかもしれないけど(笑)
やってみようと思います。
1847年(弘化4年)5月2日
清河八郎10代の日記 『旦起私乗』には
林裏を過ぎ水門口に出て
槇葉山を上り山伏峠を超え添川村を出て・・・とあります。
昔の周辺の地図が無いのでわかりませんが
林とは御殿林、水門口とは北楯大堰の水門か
立谷沢川の水門か、どっちか、です^^;
戊辰戦争の時の図を参考。
峠越えの前には立谷沢川沿いの道を
肝煎の満願寺のところまで歩いたと思われます。
庄内町清川、集落は左方向、
立谷沢川(右)が最上川(向こう)がに交わる所
2016年6月5日撮影
立谷沢川沿いを左に見て歩くとこんな感じ。月山はまだ真っ白。
2017年4月28日撮影
家出した日は
新暦4月7日ですからもっと春が浅い感じだったのでしょうね。
バレないように軽装ででたようですから寒かっただろうな。
肝煎、満願寺前の風景
南無阿弥陀仏の石碑は当時もあったかも
2017年8月25日撮影
満願寺の龍王殿 寛政5年建立とあります。
2017年8月25日撮影
ここから添川までは去年の
回天の道ツアー1の記事にづききますm(_ _)m
大体ですが 添川地域まではこんな感じ? (グーグルマップ)
つづく・・・・





