さて、知らなかった事をまたひとつみつけて面白がっていましたが、
祀られてる神農様の事は何一つ知りませんでした(汗)
そんな折、丁度庄内33観音御開帳参りの期間中でしたので
割と近くの、金峯山青龍寺に足を運びました。

こういう時は、普段は見られないお堂の中を堂々と見ることができるからです。
洒落でもなんでもなく、本当なんですよ。
普段は無人の所も多いですからね。
しかし!私は観音様とお会いできただけでなく
↓こんな所も見つけてしまいました!

神農講の石碑です。またもや『講』ですヽ(=´▽`=)ノ
そっかぁ 神農様の講もあったのですね!
なんだか嬉しくなりました。
勿論、これは以前からあったものだったのでしょうが
多分、半世紀以上前の保育園の遠足の時にもあったでしょう(笑)
やはりこれも興味がなければ・・ということなのでしょうね。
オドロキました。
はよ、書けぇ!とまたまた言われてるような気がして。
それでもずっとウダウダしていたところ
最近遠くにいる友人がフェイスブックにあげた
神農さんネタ記事(お姿画像つき)を読むことになり、
いよいよちゃんと調べてみようと
思うことになりました。
『ウィキペディア(Wikipedia)』で調べてみますと
神農(しんのう)、炎帝神農(えんていしんのう)は、
古代中国の伝承に登場する三皇五帝の一人。
(おお!中国の神様だったのかあ!
勝手に日本の土着の神様、と決めつけてましたよ。)
人々に医療と農耕の術を教えたという。
神農大帝と尊称されていて、医薬と農業を司る神とされている。
薬王大帝(やくおうたいてい)、五穀仙帝(ごこくせんてい)とも。
と、あって、お姿、載っていました!

神農様は、こんなおじさんw 角があるぞぉ
想像してた姿とイメージ違~う!でもこっちが好きかも(^○^)
頭部と手足の他は透明で内臓が丸見えだったって書いてある!!
おもしろ~!てか、Wikipediaにはその訳も書いてありました。
そんなわけで再び
お堂の事を知るきっかけになった本を引っ張り出しました。
(実はその後、古書店でみつけて手に入れた(^o^)v)
『こぼればな史』(地元の方が10年前に出された)には
古い文献を集めた『大泉掌故』1983年鶴岡市発行)にあることを知り
図書館から借りてきました!!
ありました!!
えっと・・・・(-_-;)
簡単に言うと(^_^;)
藩医であった小野元珉(おのげんみん)さんという方が
享保4年、土地拝借を願い出て、無事許され、
小真木原に念願の薬草園を作り、
享保五年にその地のそばに神農堂を造立した、と。
当初は祭祀などもあり、多くの人が集まったとも書いてありました。
また、『こぼればな史』には
薬草園も神農堂も明治まではそこにあったそうですが
その後色々あり、昭和36年の台風で壊れてからは
公民館にある地神社に合祀されたとありました。
薬草園は、今はありませんが、
昔、民のために薬草園創設をを願ったひとりの医療者が
こんなに近くにいたということに感動しました。
また、名残の場所を今も大事にしている地域の方々の真心にも感動です。
しんのはん、(市内では さん を はん といいます)
と、親しまれていたそうで(今もそうであることを願う)
私も最近はそこ通るたびに しんのはん!おはようございます!と
挨拶をしています。
つづく...(まだ色々あるのよw)
『こぼればな史』(昭和58年発行) 花筏 健
『大泉掌故』 高橋種芳