第19回助っ人外人列伝 | 金満血統王国信者

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馬券購入のヒントになるデータと日々の出来事などを好き勝手に書いてみたいと思っています

中学生の頃より応援し続けた球団『近鉄バファローズ』

(最終的には『大阪近鉄バファローズ』)

残念ながら2005年オリックスとの合併により球団は消滅。それに伴い私の野球熱も急速に冷めていったわけですが、野球経験のない私をここまでプロ野球に熱中させてくれた球団に敬意を表し、記憶にある選手を少しずつではありますが紹介、この球団の面白さを伝えられたらと思います

 

前回より間隔が空いてしまいましたが19回はこちらの選手

ヘクター・カラスコ(投手)

 

2004年入団。前回の列伝 で少し書きました通り守護神大塚晶文が2003年シーズン開幕直前に中日に移籍。守護神欠落で苦しんだシーズンを補強すべく獲得した助っ人。

 

MAX150kmを超えるストレート

 

を持ち味に力で抑える本格クローザーとしてかかる期待も大きかったわけですがシーズンが始まると違う意味で

恐怖の守護神

としてチームに君臨します。それは・・・

 

度重なる救援失敗

 

に他なりません。

球威はたしかにある。球速も150km前後しっかりと出ますしまったく話にならないピッチャーではないのですが投球パターンが単調なのか狙い球を絞られていたのか(フォームで球種がバレていた?)メンタル面に問題があったのか

とにかくよく打たれました(笑)

で、「ダメ助っ人」と烙印を押され解雇となればそこで終わりだったのですが

これだけ打たれても梨田監督

 

ストッパーはカラスコでいく

 

と断言。しかしながらその後も相変わらずよく打たれ(苦笑)

<調査の結果>

クローザーにも関わらず4月の段階で

5敗

防御率20.00

 

さすがにこの成績では梨田監督も断念せざるを得なかったようで

クローザーを降格

 

それでもここで終わらないのがカラスコのスバラシイところ

セットアッパーに転身してからは不思議と成績が安定

主にクローザーにつなぐセットアッパー(場合によってはロングリリーフも)として存在感を発揮。

 

カラスコが抜けたクローザーの安定した後釜が出現しなかったので

時にはクローザー

時にはセットアッパー

時にはロングリリーフ

として最終的には(活躍と言い切れる成績ではありませんでしたが)フルシーズン投手陣を支えました

 

で、2004年最終成績は

登板数53

8勝8敗5セーブ(SP13)

防御率5.57

にて終了。

 

4月で早くも5敗した割には最終成績が8敗で終わっているのでその後の安定感(というほどのものではありませんが)は窺い知れます。

 

それでもクローザーのくせに

たったの5セーブ

特筆すべきは

8勝

これはリードして登板した時に

同点もしくは逆転を喰らい前を投げていた投手の勝ちを消す

その後チームが再逆転

カラスコに勝ちがつく

というカラクリで挙げたもの。

2004年は最終的にリーグ5位に終わったのですが

悲しいかな8勝はチーム2番目の勝ち数

(1位は最多勝の岩隈

13SPは何とチーム1位のポイント

(2位は最終的にクローザーとして10セーブを挙げ投手陣をまとめた福盛12SP

 

数字だけはチーム上位に顔を覗かせたものの

防御率5.57が証明するように数字以上に役に立てなかった助っ人カラスコ

登板数チーム内2位

勝ち星チーム内2位

負け数チーム内2位

SPチーム内1位

 

チームに迷惑をかけたり要所を締めたりといろいろな意味でお騒がせだった投手。

 

実際に9回に

ピッチャーカラスコ

がアナウンスで告げられると

 

近鉄側からはブーイング

相手チーム側から拍手喝采

 

となっていた始末。ファンからも半ば見捨てられたような存在ではありましたが

2004年シーズン終了後チームの消滅に合わせてカラスコは解雇。

 

 

私自身もそれほど印象に残る登板や実際に観戦に行った時に思い出となる出来事があったわけではありません。

ではなぜこの選手を列伝に取り上げたのか?それは、

 

近鉄合併問題の際に率先して署名活動に参加した優良外人だから

 

署名活動は選手会が行っていたので(選手会に属さない)助っ人外人は通常こういった活動に参加することはないそうなのですが、カラスコは近鉄のチームメイトと共に署名活動に参加。更に自らがメジャーリーグ在籍時代に起きたストライキの経験を選手にアドバイス。球団の存続がかかった大事な事象とはいえ親身になって真剣に考え行動したスバラシイ助っ人であったということはしっかりとお伝えしたいと思い列伝での紹介に至りました。

 

これで成績まで一流なら文句ナシだったのですが。

なかなかそんなうまいお話はないようで・・・。

 

ちなみに余談ではありますが以前マリオ の回で

近鉄最後の年の途中入団助っ人ということで・・・

近鉄の歴史の中でも一番最後に入団した助っ人外人

マリオだということはお伝えしましたが

 

近鉄の助っ人投手で一番最後に入団

 

したのはカラスコです。一応お見知りおきください。

  

 

さらにさらに、これは恥ずかしながらこの列伝を書くまで知らなかったことですが

カラスコが度重なる救援失敗したことから転じて

救援に失敗することを

スコる

と呼び、一部プロ野球ファンの間では実際に使われていたようです。

(今は使われているのでしょうか??)

 

近鉄選手の名前が後世に伝えられるのであれば不名誉なことであろうと

球団が存在したことの確かな証明

まだこの用語を使ったことがない方はコレを機にぜひ

スコる

を使ってみてください。