昨夕、一本の電話がありました。

人吉出身、関西在住の御子息をお持ちの御母様からでした。

 

内容は、こちら。カミさんのブログを。

 

”なんで、こんな片田舎の。
場末のカメラマンが、

こんなことしてるのか?”

 

実を言うと、数年前までは某婚礼会場の提携写真館としてやってました。

そりゃ何も宣伝もしなくて、会場からのFAX一枚でお金になってました。
別段、なんの苦労もしなくて披露宴当日に写真撮って
アルバム納品して、請求書作って終わり。

別にそれならそれでも良かったんです。
でも、敢えて提携してる会場から全て契約の延期を断りました。
当然収入は激減しました。

 

でも、今考えれば良かったのかも知れません。

 

自分が本当にやりたかった事の一つ。
 

オリジナルの「国宝プラン」



始める事の、切っ掛けの一つがあります。

実は、儂ら。


カミさんの親父さんは、儂らの結婚式の一月後に他界しました。

付き合っていた頃、癌で余命幾ばくかの時でした。

 

『いつ亡くなるか判らないから、花嫁衣装は見せておきたい』

今考えると、ドラマやマンガに出てくるシチュエーションですよね。

20代後半、若造な儂。

正直、結構躊躇しました。

駆け出しのカメラマン。
お金もない。
仕事もない。
甲斐性もない。

 

『どうするべ』

(そのときの儂は、熊本市内の婚礼衣装屋さんに間借りして

細々と食いつないでおりました。)


本来なら、会場決めて〜招待状出して〜いろいろ準備して〜の
短くても3ヶ月〜半年は準備期間が必要でしょう。

 

当時の社長さんに相談したところ、快く衣装や美容もタダ同然で提供してくれました。

 

バタバタしていたのを思い出します。

婚儀には、それぞれの家族のみ。

婚儀の場所も、義父の意向もあり寺院で執り行いました。

(今振り返れば、お坊さんの人数が遥かに多かったような気が・・・・)


式後思ったんですね。

婚儀(結婚式)ってのは、”御祝い事”なんだけど
『100%喜べない』

だって、今後自分だけの人生じゃ無くなるんですよ。

これからの「未知の不安と覚悟」を覚えたんです。


確かに、”ウェディングフォト”を生業にしてます。
会場提携時代は、”直接のお客さん”ではありません。
名前さえ分かっていれば、後どんな人かも知りません。
式披露宴後、会うことも無いです。

そのご夫婦がどうなったかも、知りません。


会場経由で来るお客さんと

 

うちの写真を見て『直で』来るお客さん。

(会場提携のお客さんでも、うちを気に入ってくれたご夫婦は今でも来店してくれてます)


差別はしたくないし、有ってはいけないことですが・・・

儂も人間です。
どちらにウエイトを置くかは、お判りでしょうから。

 


「会場提携のお客さん」には、「会場のスタッフの一員」として社交辞令を。
「直の客さん」には、「本音」を。

なので、会場提携を全て辞め。
「本物」を創りあげたかったのです。

お客さんに
『夫婦になるのは重圧』
『式中、ヘラヘラ・キョロキョロしない』
『奥さん、白無垢姿でピースサインすんな』

『和装で、”ジャンプ写真”撮るわけねーだろ。遊園地ちゃうぞ。』

って、言えないでしょ。