天下人3人の性格と役割(戦国武太郎の戦国漫遊録  第100回) | 戦国武太郎の戦国漫遊録

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戦国に関するエッセーです。

【漫遊録 100回記念!】

 
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ブログ100回を記念して天下人3人を中心に書きます。戦国ファンならぜひ覚えておきたいフレーズがあります。有名です。できれば暗記しておきたいものです。

 

「織田がつき 羽柴がこねし天下餅 座りしままに食うは徳川」

江戸時代に出来た一種の狂歌です。天下人3人の果たした役割を餅の工程になぞらえてうまく読み込んでいます。

 

「座りしままに」が「座して」と言うこともあります。「織田」が「信長」に、「羽柴」が「秀吉」に、「徳川」が「家康」になることもよくあります。

 

要するに、信長が汗を流して一生懸命に餅つきをして天下統一の道を拓き、その出来上がった天下餅を秀吉が切り取ってこねて丸くします。

 

全国の天下統一は秀吉が成し遂げたものです。トンビが油揚げをさらうように家康がその天下をわが物にして食べると言う構図です。

 

家康は秀吉の天下を横取りしたのですが、秀吉だって織田家の天下をわが物にしています。信長だって将軍の義昭を傀儡(かいらい)として利用して天下に号令しました。皆そうなのです。

 

この天下人3人の性格を言い当てた575の句があります。一種の冠句といえます。ホトトギスが題材です。超有名です。これも覚えておきたいものです。

 

信長はこうです。「鳴かぬなら殺してしまえほととぎす」 信長の短気、非情な性格をよく表しています。

 

秀吉は「鳴かぬなら鳴かしてみせようほととぎす」 人たらしであった秀吉らしさうを感じます。人情や自由自在の闊達(かったつ)な性格を思い浮かべてしまいます。

 

3人目は家康です。「鳴かぬなら鳴くまで待とうほととぎす」でした。家康は我慢、辛抱、忍耐を続けるうちに天下が転がり込んで来ました。

 

歴史学的に言えば、信長は中世に生まれて近世の扉をこじ開けた記念すべき男です。強力な宗教集団をたった一人で黙らせました。中世ヨーロッパではどんなすごい国王も成しえなかったことです。

 

鉄砲集団を作り上げたり、楽市楽座を広めたり、大手道を直線にしたり、街道を整備したり、それまでの常識を覆すことを数多く行っています。大したものです。やはり信長は進取の気性に富んだ独創的な男でした。

 

 次に秀吉は天下人3人の中でおそらく一番IQが高かったと思わせます。170はあったのではと推測します。記憶力、頭の巡り、勘の鋭さな、企画力、先見力などいずれもピカ一でした。

 

しかも努力を続けているところにその凄(すご)さがあります。だからこそ一介の農民の子が頂点に立てたと思います。個人的な槍の扱いや刀の使い方は下手だったのですが、武略はたいしたものでした。

 

第三の男、家康は秀吉をその出身階層とあわせて少し下に見ていたと思います。家康は信長には全く頭は上がらなかったのですが、秀吉に対してはそうではありません。

 

山崎の合戦で秀吉が明智光秀を破った年の翌年に家康は信長の息子・信雄をたきつけて小牧・長久手の戦いをやっています。

 

家康は軍事的には秀吉に勝利しましたが、政治的には秀吉の調略で臣従しています。

 

家康は忍従の男から野望に満ちた何でもありの男になっていたのです。ですから方広寺の鐘銘事件なども起こすことができたし、豊臣側をたぶらかして大坂城の堀を埋めたのです。

 

でも江戸幕府260年の礎を築いた家康の力量と才覚と努力は高く評価すべきだと思います。それは先行した信長と秀吉の失敗事例から数多くのことを学んでそれをしっかりと幕藩体制に反映したからと言えます。

 

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