新入社員や自分の子供を見てて思うわけですが、
思考方法って学問にするべきなんだろうなってこと。
前にも考えがまとまらない中で書きなぐったわけですが、
今回も例にもれず、書いてみたいと思います。
最近学んだ中で
「思考」は「活動」の氷山の一角である
ってことです。
なんか、頭ですごいことを考えているように錯覚しているわけですが、
頭に浮かんだ考えは自分の「生命活動」の一部分であり、
全体の「活動」の中のホンの一角に過ぎないというもの。
つまり、生きるために「無意識」で行っていることが
電気信号を生み、その刺激によって脳内の活動にも影響があるというもの。
改めてそれを考えてみると
気持ちが落ちる→体を動かすのが嫌になる→落ちた気持ちが頭を巡る→抜け出せないから、余計に体を動かさない
と、精神状態が渦のように同じところをグルグルと回っていたなぁと思い出しました。
で、そんなときの脱却方法は体を動かしたり、外に出てリフレッシュすることだったりします。
そこから分かることは
精神の状態を紐づける「行動」が存在するということでした。
つまり、気持ちを落とした状態の時の行動は気持ち=行動で紐付いているので、
行動を変えない限り気持ちも切り替わらないということです。
本「夢をかなえるゾウ」の最初のミッションは「靴を磨く」でした。
気持ちを変えるために「行動」を変える、良い事例の様に思います。
半信半疑の主人公も「まずはやってみた」から上手く行ったわけです。
ネガティブな思考を変えるためにもその「やってみた」は大事なように思います。
ちなみにこれはアドラー心理学にも通じるのかなぁって思います。
人は「活動」を効率化しようとするために「無意識」で「変化」を避けるようになっています。
結果として自分自身の「活動」を肯定しそれに即した「思考」を生み出しているわけです。
なので、「変化」を望むなら「意識的に」「活動を変えることで」「思考を変える」必要があるわけです。
そして意識的に行う活動が無意識で行えるようになることで初めて「変化」したと言えると考えます。
で、ここまでが何と、前置きなわけなんですが
個々の活動は個々で変わります。当然ですよね
ということは「思考方法」も個々によって違うわけです。
1+1=2 を認識するプロセスは人によって異なるわけです。
結果、だんだん難しくなってきたときに
考え方のプロセスによって違いが生まれ
勉強の出来、不出来が変わっていくのだと、最近になって気がついてみました。
ここを効率の良いプロセスを学ぶことで
誰でも天才になれるんじゃないかなぁなんて考えているわけですが、
自分自身が出来の悪い方の人間なんで何ともって感じになっていますw
では、どんなプロセスがいいのか?
無い頭を絞って考えたことはいずれまた。
特に読まれているブログではないので、まとまり無く書いているわけですが、
もし、少しでも内容を汲み取っていただける人がいたら
「いいね」をいただけると嬉しいなぁ