分かりやすいものが正解になっている世の中になってきたような気がします。
You Tubeを見ていたら、岡田さんの動画がオススメに上がっていたので、
見てみました。
内容的にすごく共感したので、思わず感想を含めて書いてみようと思います。
論じられていたのは
・動画は情報量が多いにも関わらず、セリフに説明が多い
・分かりにくいものよりも分かりやすいものを作っている
・「面白い」よりも「分かりやすい」が重視されている。
・視聴者が「理解できなくなっている」
etc...
昔より紙媒体の物にふれる機会が減っているのが原因なのかなぁって思ったりしています。
情報の入手先が手軽な動画サイトになっているわけですが、
これにより何が起こるかなぁって考えると
・分からなかったことが手軽に分かる
動作なども動画で見ることにより最短の「正解」を得ることができる
・動画は「視覚」「聴覚」を刺激するため、脳の処理の負荷が大きい
思った以上に脳が疲れる。疲れるから追加で「考える」ことが億劫になる
・視覚に訴える作りになっているので、中毒性がある
といったところでしょうか。
つまり、繰り返し動画を見ることで脳が疲弊し、
「考える」「読み取る」みたいな負荷のかかることを自然に避け
分かりやすいモノしか「分からない」状態になるのだと思います。
岡田さんの動画の中で例として挙げられていた
雪に落ちたことで助かった炭治郎は
動画で「表現として」
・息を白くする
・落ちた場面
・手に持った新雪
はセリフ無しで説明することは簡単です。
でも、実際のセリフの中に「助かった、雪で」みたいな
言葉を出すことは動画の面白みを減らしているわけですが
「わかりやすく」するためには必要になるわけです。
こういう流れって、アニメや映画みたいな動画作品だけなら良いのですが、
社会自体にも拡がってきているような気がします。
<言わなくても伝わるは過去のこと>
接客をしていると感じることが多くあります。
日本語の謙譲語とか、尊敬語って微妙に伝わりにくいわけです。
「お控えください」=「やめろ」
「出来かねます」=「出来ない」
みたいに変換できない人が増えたような気がします。
なので、こちらが「丁寧に」説明すると伝わらないことが多く、
結果「分かりにくい」「難しいことを言われた」とクレームが来るわけです。
最近は少し話して伝わらないことが分かる相手には
結構言葉を選ばず「分かりやすい」表現にするようにしています。
「これ、できる?」には「できません」って返すみたいな。
失礼な物言いをしてくる人って実は「分かりやすい言葉しか分からない人」でもあります。
つまり、端的に話す=丁寧な物言いが分からない から簡単な言葉を使っています
他から見たら「失礼な店員」となるかもですが、言ってきた人にとっては
分かりやすい言葉を使ってくれるわけですから「理解できる」となり、
二人称までのクレームは発生しなくなるわけです。
先日の「山手線、財布落としたので止めた」動画も
駅員さんがもう少しわかりやすい言葉で恫喝してあげれば
動画を取ってた主もアップする前に気づいたかもしれなかったなぁと思いますw
アップ主は「財布落としたから拾いたい」だけで
「数分間隔で電車が来るので拾えない」は想像できなかったわけです。
停止ボタンを押す前に「電車止めれないから、終電まで待っとけや」ぐらい
言っとかないと理解できなかったんだろうなと。。。
「電車が止まると多くの人にご迷惑がかかり、拾うためには 云々」と
長く説明しても理解できないタイプだったんだと思います。
自分もそうですが、動画をあまり見すぎると「理解力」が落ちる気がしています。
程よく頭を休めていけるようにしたいですね。