あの大地震からはや一週間が経とうとしてます。


あのときの揺れや混乱はすごかったけど、まさか一週間後の今日までここまでの混乱が続くとは思っていませんでした。

むしろ先週よりも混迷の度合いは増している印象です。


最初は単一の電池が売り切れただけだったのが、そのうち単二、単三と店からなくなり、お米は無洗米だけが売れていたのが、お米そのものが店頭からなくなり、ガソリンスタンドの渋滞は100mが1kmにも拡大しました。


そして、電力不足問題についても、今日遂に私の街にも計画停電がやってきました。それも19時から22時まで。。。


そもそも午後になって、経産相が電力危機を訴え、急遽電車が減便されるとのことから、再度の帰宅難民を恐れた企業が業務を繰り上げた影響で、駅は17時だというのにごった返し。


なんとか家にたどり着いたものの、なんと我が地区がよりによって夜の時間帯に計画停電デビュー。

覚悟はしていましたが、本当に信号は消え、ネオンも消え、わずかな非常用出口の明かりだけの世界に。いつも何気なく渡れる横断歩道を渡るのにすごく時間がかかりました。


実は、家族をおととい四国の親戚のお家に急遽避難させました。万が一放射能の問題が深刻化してパニックになってからでは遅いと判断してのことです。巷ではそこまで危機感は高まっていませんが、我々の業界では、色々と情報が入り乱れており、外国人などはとっくに逃げてしまっています。

ま、あとあと笑い話になれば良いなと思いつつ、断腸の思いで家族に飛行機のチケットを手配しました。

その日のお昼にいきなり四国行きを言われた妻は最初はまともに取り合わず、次第に半べそになっていきましたが、腹をくくってくれたようです。義理の母と子供二人を連れ、その日のうちに出発してくれました。


おかげでずいぶんと私の気持ちは軽くなりました。


とはいえ、私は一人で闇夜を過ごさなくてはならず、それはとってもイヤだったので、二つ手前の駅の停電してない23区までトボトボと電車で引き返しました。そこで2時間ほど一杯やって今しがた戻ったところです。街は明かりを取り戻していました。


その間にも緊急地震速報は鳴り響き、震度3~4クラスの地震が2度。


早く本当の暗闇が明けて欲しいものです。



先日のバレンタインで多くの方々からプレゼントを頂きました。


本来であれば、さらっとそのお返しをするのが大人の流儀だとは心得ておるのですが、今般の大災害を目の当たりにし、どうしても今はそういう気持ちになれません。


大変申し訳ありませんが、今日のところはブログにてお礼を述べさせていただくにとどめさせて下さい。


今は、見くびられ続けてきた我ら日本人の底力を世界中に知らしめるべく、忍耐と道徳観を持って、劇的な復興に臨むべく、その一翼を担えるよう私も日々の仕事に全力で向き合います。


本来お返しすべきプレゼントの分は、何らかの形で被災者への寄付に代えさせてください。


皆様、お気持ち、ありがとうございました。

ご心配を頂きました皆様へ。

おかげさまで、無事でおります。ありがとうございます。



日本に生まれたからにはいつかは経験するであろうと思っていた大地震を遂に経験したということなのでしょうか。

でも、震源に近い地域の方々のことを思えば、自分が被災者であるなどとは到底言えないと、朝からの報道を見るにつけ感じます。


ただ、本当に恐怖を覚えましたね。

私は普段、都心の高層ビルの18階で働いているのですが、揺れ方が半端ではありませんでした。


免震構造ということで、地震のエネルギーを逃がすためなんでしょうけど、あんなデカイ構造物がこんにゃくみたいにグニャグニャ揺れてるわけです。向かいのビルもムチャクチャしなってました。。。


地震自体は3分くらいだったんでしょうけど、ビルは15分くらいは揺れてました。本気で船酔いしている人が何人もいました。

ただ、フロアでは悲鳴などはなく、緊迫はしつつもみんな落ち着いて行動できたのではないでしょうか。


最初の揺れ始めに家内にとっさに電話をいれると、横浜の友人宅からの帰りで、電車での移動中でした。

その後揺れが酷くなったので、一旦切ってしまったのですが、それが間違いで、その後5時間も音信不通になってしまいました。


娘の幼稚園には20回ほどのコールでなんとかつながり、無事を確認できましたが、しばらくは落ち着かない時間が続きました。


しばらくは何の情報もない中で、窓の外では5km以上離れたお台場方面からものすごい煙が見え、大変なことになっていると直感しました。


結局、家内の無事も確認でき、下の階のお宅に身を寄せさせてもらえたとことだったので、社員の過半は帰路につきましたが、私は無理して20kmを徒歩で帰ることはせずに、電車が復旧するのをオフィスで待ちました。


エレベーターは非常停止しており、使えないとのことでしたが、一応の食料調達のために下に降りてみると、外は徒歩帰宅の人たちで溢れかえり、丸の内の街はまるでミレナリオの夜のようでした。

コンビニではまともな食料はほとんどなく、おつまみの乾きモノをかき集めてきました。

ただ、ビールを買うほどの気持ちの余裕はありませんでしたね、さすがに。

しかもフロアに戻るための18階の上りはキツカッタ。。。1フロアが高すぎるんですよ。


夜通しをを覚悟しつつ残った人たちで食料をつまみつつも、前日の送別会でみんなかなり疲れきっており、出来れば自宅で睡眠をとりたいところでした。


結局未明に地下鉄が復旧し、同方向の女性二人を引率し帰路につきましたが、乗換駅では人が溢れ帰っており、とても電車に乗れる感じではありませんでした。

そこで、道も大渋滞でしたが、意を決してタクシーを20分ほどかけて拾い、それでみんなを順におくりとどけて帰宅。普段なら40分程度の道が、2時間以上かかりましたが、寒さをしのぎ車内でみんな少しでも眠れたことは幸いでした。そしてなにより、以前無駄に使ってしまい後悔したプラチナタクシーチケットを最大限有効活用できました。少しは男を上げたかな(笑)


家に着いたのは4時過ぎでしたが、家族が無事に揃ったこと、家のあることのありがたみをシミジミと感じています。


心の準備もないままに迎えた今回の大災害を経験し、まとまりのない文章で思いつくままに綴ってしまい恐縮です。


こうしてブログを書いている間も余震はまだ続いており、福島の原発も予断を許しません。ガソリンスタンドは長蛇の列ですし、スーパーやドラッグストアは欠品だらけ。

依然として危機的な雰囲気は続きますが、まずは無事のご報告まで。