上の図は、「援蒋ルート」と呼ばれている道路が示されている。第二次世界大戦中に連合軍か建設した道路で、中国軍に連合国から物資を運ぶためのルートである。ビルマのラングーンから中国の雲南省を通って昆明まで続いている。戦争末期、この「援蒋ルート」を巡って、英米中国軍と日本軍の間に壮絶な戦闘が行われた。
援蔣(えんしょう)ルートとは、日中戦争中(1937-1945年)に、連合国側(主に英米ソ)が重慶の蒋介石率いる中国国民党政府へ軍需物資を輸送した複数の補給路のこと。日本軍はこれを遮断し中国の降伏を狙ったが、逆に日本と米英の対立を深め、太平洋戦争勃発の主因となった。
主な援蔣ルートの概要と背景
- 定義: 「蒋介石(蒋)を援助(援)する」輸送ルート。
- 主要ルート:
- ビルマ・ルート: ビルマ(現ミャンマー)のラングーンから雲南省昆明に至る陸路。1939年以降の最大動脈。
- 仏印ルート: フランス領インドシナ(ベトナム)のハノイから昆明に至る鉄道・道路。
- ソ連ルート(西北ルート)
: ソ連領アルマータから西安に至る陸路。
- ビルマ・ルート: ビルマ(現ミャンマー)のラングーンから雲南省昆明に至る陸路。1939年以降の最大動脈。
- 仏印ルート: フランス領インドシナ(ベトナム)のハノイから昆明に至る鉄道・道路。
- ソ連ルート(西北ルート)
: ソ連領アルマータから西安に至る陸路。
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日中戦争から太平洋戦争にかけて、中国国民政府(主席蒋介石(しょうかいせき))の対日抗戦を援助するため、イギリス、アメリカ、ロシアなど連合国が物資や人員を輸送したルート。1937年(昭和12)から38年にかけて、日本軍は中国沿岸諸港を占領し、海外からの援蒋(国府援助)物資の供給を絶とうとした。イギリス、フランスはこれに対抗して、北部ビルマ(現ミャンマー)から四川(しせん)省に至るビルマルートや、仏印から雲南省昆明(こんめい)に至る仏印ルートを開き、ロシアもまたトルキスタン方面に新疆(しんきょう)(西北)ルートを開いた。日本はしばしば援蒋ルートの閉鎖を要求したが、40年9月には北部仏印進駐によって仏印ルートを、太平洋戦争開始後の42年にはビルマ作戦によってビルマルートを絶った。しかし、国民政府の対日戦離脱を恐れた連合国は、中国に対日作戦基地を確立する必要もあって、新たにインドからのヒマラヤ越えルートを開き、航空輸送によって援蒋ルートを維持した。

