私の本職は声楽家
歌声に愛を乗せて聴く人に届けます。
歌を勉強し始めてから
好んで歌っていたのは
なぜかいつも「祈り」の歌でした。
歌曲やオペラのアリアには
さまざまな種類の歌があります。
愛を囁く歌や
高らかに愛を謳う歌
悲しみに打ちひしがれる歌
苦悩に悶える歌。
歌を歌うということは
音楽に乗せて感情を放出すること。
閉じ込められていた感情を放出して
聴く人と共有/共鳴して
お互いに感動を共有して
その感情を浄化させる共同作業。
そんな風に感じています。
そんな中でも祈りの歌は特別です
祈りの言葉を歌うとき、
自分の中で祈りの言葉を感じています。
どういうことかというと、
「愛してる」と歌うとき
人を愛する気持ちが湧いてくる。
「苦しい」と歌うとき
胸が締め付けられる。
「悲しい」と歌うときは
涙が溢れてくる。
言葉にすると心と身体が反応します。
汚い言葉や意地悪な言葉を発するとき
顔が歪んでいるのに気付いたとき、
汚い言葉やネガティブな言葉は
極力口にしないようにしよう、
と決めました。
祈りの歌を歌うとき
歌い終わった瞬間、
いつも一瞬の沈黙があります。
時が止まったような瞬間があって
それから拍手がわきます。
この瞬間に
その場にいた人達の
苦しみ、悲しみ、不安、心配事、
そんないろんな感情が浄化され、
そして、
ふと我戻って、
拍手が起こる。
そういう感じがなんとも心地いい。
歌が上手だから拍手するとか、
そういうのじゃなくて、
歌に聞き入っているうちに、
トランス状態になって、
ふと我に返って拍手する。
そんな時の感想は
「よかった」「上手だった」
ではなく
「感動した」「涙が出た」
菩薩の生まれ変わりだと自覚して
369を実現する使命に気付いた今、
今世で歌を歌っているのは
決して偶然ではないのです。
弱いものを助けるだけでなく
一見強い立場にある人達
弱者を踏みにじる人達にも
慈悲を持って救いの手を差し伸べる
そんなメッセージを受け取って
ふと思い出したのがこの曲。
ジュゼッペ・ヴェルディ作曲オペラ
オテッロより
アヴェ・マリア
権力者、弱いものを虐げる人達の為にも
祈って欲しいと聖母マリアに訴えています。
力のあるもの、
地位のある者、
傲慢で乱暴な者こそ、
聖母の愛を必要とする、
惨めな存在だと言う訳です。
デズデモナの純粋さが感じ取れます。
自分が無実の罪を負わされて、
オテッロに殺されるかもしれないと
予感しながらも、
オテッロの為に祈って欲しいと
聖母マリアに訴えるデズデモナ。
その純粋さは、
菩薩に通じるものがありますね。
自分の死をもって
オテッロに愛の深さを知らしめる。
キリストの化身のようなデズデモナ。
大好きな曲です。