『背高泡立草 No.1』
 

いわずも知れた第162回の芥川賞受賞作。
  

商業ベースにてきしている、
大衆文学におくられるのが直木賞で。
 
それに対して、芸術性の高い純文学に、
おくられるのが芥川賞です。
 
 
とまあ、ざっくりですが、
ぼくはこんなイメージをしています。
 
 
セイタカアワダチソウは…
  
 
田舎に居ると、
雑草を生やしていると。
  
「みっとない!」
という声をよくきく。
 
 
じつは、
 
 
都会から来たり、孫の世代になってくると、
何で使いもしない土地の雑草を。
  
刈らなければならないのか、
という衝突はよくあるものです。
 
 
これは、
 
 
そんな田舎あるあるから、
話しがはじまって。 
 
さいごまで家族が草刈りをする、
エピソードがつづくんだけど。
  
  
「別に良いやん、草が生えてたって。
誰も使わんっちゃけん」」、
  
「そりゃあ、使わんでも、刈らないかんじゃん」、
という家族のもめ事からはじまるのだが、
  
最後のほうになると、
その小競り合いが日常の幸せへとかわっていく。
  
 
とくに、


主人公たちは(女系家族の集まりなので、
コンテンツのない話しばかりだが)、
   
章と章のあいだにサンドされている、
シリアスな昔話が現代の平和さをきわださせてくれる。
  
 
--大衆幸福をみごとに描かれているのではないかと、思う--。
 
 
さらに、
 

わざと『、、、』を増やしたり、
( )や--の使い方。
 
九州の方言などで崩した会話が、
また一段とバラエティーを誘います。
 
 
つまり、
   
 
たんたんと描写や物語を読ませることで、
話に重みや気付きを与えてくれる。
 
そんな芸術性のたかい、
小説ではないだろうか。