『自然を先生とする生き方!』
おうねんの宮本むさしは、
無刀の境地にたっしたという。
自然のなかで自分と向き合い、
その高みにいたったようです。
「大金を稼ぐおれってすごいぜ!」
とか、
「どんなゲストも解決できる、
カウンセリングスキルがあるぜ!」
とか、
「合気道やキックボクシングも取得したぜ!」
と、そうやって、
外のものをいっぱい習得して、
武器やヨロイをみにつけてきた。
しかし、
『まるごし』で勝負できないようじゃあ、
史上最強といえるだろうか?
弱いじぶんを隠すために、
武装してるにすぎない。
また、
「何かを得ようとする行為は、
よろこびと苦しみを、
浮き彫りにしているだけである。」
まえに、
上皇陛下にお会いしたとき、
まったくミガマエルでもなく。
「守るでもなく、えらぶるでもなくさ。」
ただただ、あたたかいおコトバと、
感謝と笑顔をいただいた。
゛まさに、無刀である!゛
つよいという表現とは、
チョットちがうんだろうけど。
大いなる人徳をいただいて、
涙がとまらなったのを覚えている。
よく、
ヒトは幸せをもとめて、
外にさがしにいく。
だが、幸せとは、
不幸でないことだと思う。
もし、
「不幸ではないことが幸せなら…」
不幸だということは、
ハッキリしているが。
不幸でないことは、
とても分かりずらいよね。
これも、
つよいから武器をもたなくていい、
無刀とおなじリクツで。
あたりまえの中に、
ぼくたちが求める幸せがある。
たとえば、
鳥がさえずりながら、
あそびにきてくれたり。
植物をおせわしたり、
土をいじる感触とかさ。
さらに、
「旬でおいしい野菜を味わったり、
命があるっことに感謝したりね。」
そして、
不幸ではない生活のなかに、
真の幸せがあってさ。
その小さな幸せを、
感じとることが大切なんだ。
つまり、
そのさいたるものは、
幸せは外に探しにいくのではなく。
「自分自身を発見することにあって、
きみこそ愛なんだね。」
そう、愛こそが一番つよくて、
あなたこそが幸せの塊なのである。